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英雄たちの選択 「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」 [映像-歴史]

(2019日)

大内義隆の敗戦が分かっていたものの教訓を得た元就は、
月山富田城の周りを獲ることから始めた。
石見銀山や尼子十旗を得て、2年弱かけて包囲した。
大河では中村橋之助という善人パパが、老獪な緒形拳に仕方なく挑む姿に魅了されましたが、
実際はかなりの陰性なのでしょう。
陶晴賢の陣内孝則と逆だと思うのですが、キャラの濃い主人公に視聴者は疲れるかもしれません。


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英雄たちの選択 「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」

----memo

守護代から 尼子

1543 戦い1 大内義隆1.5万

元就 力攻めは無理
430 尼子への寝返り続出 大内撤退

尼子の圧倒的勝利

500の郭

鉄と銀と港があった
守りに特化した城

義隆自害 1551 


元就 厳島合戦勝利で 大内を継承


まず石見銀山を奪取1562 調略で

1年がかりで尼子10機を調略

その間、隆元死亡 


156504 永禄8
 攻めた。 

長期戦に耐えられる工夫 水もわいた

   山城を作って包囲 勝山城

156611 尼子義久降伏
 義久を許した


出雲文明最後の結晶  出雲大社 尼子が保護 縁戚


1569 鹿之助 尼子再興軍6000結集して 
外征して300人だったが、降伏と偽り鉄砲でだまし討ち


1578鹿之助死去




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おしん 149~151回 自立編 [おしん]

(1983日)

大正13年(1924)秋、髪結いの師匠宅を訪ねたおしんだったが、
手が使えず、別の仕事を探していた。


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そこへ、健さんに露店での商売をやってみないかと誘われる。
成功すれば100円、失敗すれば女郎へ売る、との約束におしんは乗った。


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店を見に行くと、優を皆がかわいがってくれた。


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師匠のたかは、おしんが側にいることを望んだが、
おしんにとっては、手の動かない自分が居る場所と思えず、
健さんに頼んで探してもらった安いところに住むことになった。
師匠は哀しかったが、笑顔で送り出す。


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おしんは、工夫を重ね、評判を得、大正14年(1925)を迎えた。

竜三に手紙を書く。
が、姑の検閲により、竜三はおしんが勝手に楽しく暮らしていると疑い始めた。



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NHKオンデマンド おしん 149~151回 自立編


健さんの親切に随分助けられたが、
ある時、健さんの妻が怒鳴り込んできた。

完全な善意での親切に甘えていたが、奥さんを傷つけることになった。





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太平記 第7回 悲恋 [太平記]

(1991日)

正中2年1月(1325) 足利高氏は19だった。
その頃、奥州安東氏の乱が長引いていた。


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河内で楠木正成に日野俊基への言付けを頼まれた石は鎌倉に着き、
花夜叉一座の仲間と再会する。
この時、藤夜叉の妊娠を知り不機嫌となる。


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北条得宗家の内管領・長崎円喜が足利宅へ訪れると知らせがあり
弟の直義は激怒していた。
高氏が捕まったのも彼らの企みだったからだった。


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長崎は、高氏と北条守時(赤橋)の妹の登子との婚姻の確認を求めてきた。
第14代執権北条高時の指示でもあった。
父の足利貞氏が「身に余る光栄」だとし、長崎は喜んだが、
それは、奥州へ6000の兵を出してくれとの要請に繋がった。

元々は長崎の息子の高資が安東家の兄弟争いで両方から賄賂を貰って
放置したことから生じた戦争で、その始末を他家に押し付ける身勝手だった。


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藤夜叉は佐々木道誉が預かっていたが、石が忍び込み、
高氏と赤橋の縁談を伝え、子どもは一座で育て父が必要なら自分がなると
諦めさせた。そして、藤夜叉は自分から石に連れ出すよう頼んだ。

屋敷の者に見つかったが、石は命がけで藤夜叉を屋敷の外へ逃がした。


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が、そこに高氏がいて、2人は逃げた。
藤夜叉は高氏と京の都へ行きたいと言うが無理な話で、また明日会おうとなった。
石が追いついたので、石に預けた。



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その晩、帰宅すると、新田義貞とすれ違った。
奥州へ兵を出すので挨拶に来たとのことだった。



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(足利貞氏)

父に確認すると、新田は何も言わず腹をさぐりにきただけとのことだった。
安東を討伐する目的の大軍を北条討伐へ切り替える話となる。
高氏は赤橋との縁談があったので反対したが、
それはそれで幕府を改革していければいいと説得された。



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TSUTAYA 太平記 完全版 

(金沢貞顕、赤橋守時、長崎円喜)


が、連署の北条貞顕(金沢)が、新田や貞氏の腹を見破り、
裏目に出ることを恐れた長崎円喜は、取りやめとした。





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いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」 [いだてん]

(2019日)

昭和20年3月10日の東京大空襲で100万の罹災者となり、4月13日の空襲で、
志ん生の自宅を失い、松竹で聞いた満洲慰問団に参加することになった。


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昭和20年7月、新京放送局のアナウンサーだった森繁久彌に引率され各地を回った。
森繁は、ソ連が参戦すれば危険だと分かっていた。


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出陣学徒だった小松勝は負ける戦と知った上官の決断により逃げていた。
志ん生の「冨久」にリアリティーが無いと「指導」し追い払われていたが、
奉天で再会し大連に着いた。


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小松勝は志ん生の「富久」が自分の指導で上達していることに感涙。
日本の家族にハガキを送りたくたくなり、途中で出た。


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が、ソ連兵に見つかる。とっさに逃げた。
素直に話して無事解放してくれると期待するほど愚ではなかった。


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銃撃され、東京の家族に遺品が届く。
送ろうとしたハガキには「志ん生の富久は絶品」と書いてあった。


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志ん生が大連で船に乗れたのは、昭和22年1月だった。


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NHKオンマインド いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」


24日に佐世保に着き、電報を打ち、27日到着した。
1か月のつもりが、約2年となった。

今回、志ん生と小松親子、金栗との関係、
妻のりんが、バーで占ってもらい田畑と会うなど、
繋がってきたことの感動と、敗戦前後のソ連参戦と満洲の現実に
今回、特に胸に迫る回でした。




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おしん 146~148回 自立編 [おしん]

(1983日)

大正13年(1924)秋、篤子が愛を出産し嫁ぎ先に帰った翌日、
おしんは田倉家を去った。


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長兄の福太郎は餞別を渡した。
合理主義者でもあり、労働に対する対価という面もあったのでしょう。
大五郎も竜三に渡していた。


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源じいの墓で待っていると、恒子が優を連れ出してくれた。
姑の清に疑われ、竜三に感謝されたが、シラを切った。


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当時、佐賀から東京へは3日かかったそうだ。


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髪結いの師匠を訪ね、笑顔で歓迎される。うな重を注文してくれた。
が、鈍感だった師匠は、食べる段階になっておしんの口から事情を聞くまで
何も気づかなかった。

翌日、師匠の髪を結おうとしたが、手が動かず無理だった。


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NHKオンデマンド おしん 146~148回 自立編


佐和を訪ねる。料理屋での住み込みだったが、
子どもがいれば無理だった。
佐和は以前に貰った東京行きの金30円を返した。

おしんに多少の恩がある者たちは無下にはしないが、
いつまでも甘える訳にはいかなかった。





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ノーナレ 「富士山と牛と僕」 [映像-他]

(2019日)

酪農家の15歳の息子が北海道の全寮制の農業高校に入学する。
少年は「継ぐ」と言わないし、親も「継げ」と言わない。
が、規模が大きく、自然と代々継承されていくのでしょう。

ペットではなく家畜なので、生まれた子牛をすぐに母と離し、
小屋に移して、ミルクをやる。
手間だと思うのだが、母子の感情を殺して人間社会が乳製品を得ていることになる。

が、牛がケガをすれば、情も働く。

牛と共に生きるということなのでしょう。



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NHKオンマインド ノーナレ 「富士山と牛と僕」






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徳川慶喜 第19回 父の死 [徳川慶喜]

(1998日)

安政7年(1860)3月3日、桜田門外にて井伊直弼は首を切られた。


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その日、老中が集まり、右端の脇坂(佐々木功)が仕切った。
斬奸趣意書が脇坂宅に届けられた。
井伊の罪を挙げ、幕府には他意はないとした。
この趣意書は全員が懐中に所持していた。

彦根藩の水戸藩への戦闘が始まるを恐れ、幕府は「軽傷」にした。
実際は「重症だが生存」ということにしたようだ。

跡継ぎを決めずに藩主が横死した場合に家名断絶となることもあり、
この措置は彦根藩にとってもありがたかった。


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その日、一橋家では「悲しげに暮らそう」と確認し、笑う。


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翌4日、水戸の斉昭は、永原を呼び詳細を聞いた。
江戸にいる藩主の慶篤と、一橋の慶喜への手紙を託した。

その後、斉昭の妻吉子から斉昭亡き後に、杖となってくれと頼まれた。
医者によれば、精神だけで生きている状態だった。


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幕府は井伊直弼を失い、新方針を立てれず、
そのまま直弼の公武一和方針に従い、和宮降嫁の話をすすめた。
生母の観行院は関白九条尚忠に激怒する。



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万延元年(1860)8月15日、満月だった。


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その日、水戸の斉昭は初めて満月を楽しんだ。
満60だった。


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NHKオンマインド 徳川慶喜 第19回 父の死


翌日、江戸の慶喜は斉昭からの手紙を受け取った。

「牛乳を飲め」

とのことだった。
慶喜は父の愛に涙した。





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ノーナレ 「“愛”を売る男たち」 [映像-他]

(2019日)

歌舞伎町にあるニュータイプのホストクラブだそうだ。
初回90分で10分毎入れ替わり、女は1人を選ぶか、去る。

自堕落でできる仕事ではなく、細かい気遣いや会話力など要求される。

父が殺され極貧を味わった外国人が流暢でない日本語で接客する。
一人の客が彼を支えるために店に通う。

また、母親が店に来て、息子をやめさせようともする。
ノーナレは切なくなりますね。



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NHKオンマインド ノーナレ 「“愛”を売る男たち」







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おしん 143~145回 自立編 [おしん]

(1983日)

大正13年(1924)秋、篤子は無事に出産。おしんは死産に沈んだ。


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篤子の乳が出ないため、おしんがあげることになった。
これを機に姑は急に優しくなり、篤子は嫌がったが、
篤子の子の名前に、おしんが決めていた「愛」を付けるほどだった。


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しばらくして佐和から手紙が届いた。達筆だった。
出産の祝いの言葉もあったが、佐和の善意は度々おしんを傷つける。


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33日目のお宮参りが済み、篤子は嫁ぎ先へ戻った。
おしんは死産の時点で出ることを決意していたが、
愛に乳をあげる役目が終えた日、竜三に話す。
竜三の同意を得れなかったが、おしんはお暇の挨拶をする。
優を連れていくことにお清は反対し、勝手に一人で出ていけとした。


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その晩、おしんの苦労を知り、己の無力と責任を感じていた竜三は詫びた。
時機が来たらまた共に暮らそうと言う。
それがおしんの救いだった。


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NHKオンデマンド おしん 143~145回 自立編


翌朝、恒子が姑の隙を見て優を連れ出し、源じいの墓で待ってるよう、
言ってくれた。真意を測りかねたおしんだった。

おしんへの同情と姑を泣かせたかったのでしょう。
が、不機嫌の矛先が自分らに向くことを引き受けたということだった。




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いだてん~東京オリムピック噺~ (38)「長いお別れ」 [いだてん]

(2019日)

1938年5月に嘉納治五郎が他界。
田畑は嘉納からストップウオッチを受け取り形見となった。


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嘉納に東京五輪辞退を迫った田畑だったが、
東京五輪返上を総理に働きかけようとするIOC委員の副島道正には、
働きかけるなら戦争を辞めさせろ、と主張。


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が、7月14日、政府は東京五輪中止を発表。
副島はIOC会長のラトゥールに手紙を書いた。


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嘉納治五郎との友情があったラトゥールも落胆する。


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金栗四三の弟子の小松勝は増野シマの娘リクと結婚し、
小松金治を儲ける。後に古今亭志ん生の弟子となるが、
この時は父の学徒出陣を万歳して祝った。


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NHKオンマインド いだてん~東京オリムピック噺~ (38)「長いお別れ」


昭和18年(1943)10月21日、出陣学徒壮行会が、
明治神宮外苑競技場で開かれた。





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