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満洲事変 [東亜]

石原莞爾の不況を憂い、荒れた現地での義憤からの行動かと思っていたのですが、
世界恐慌に至る前年、1928年3月の段階で、木曜会なる陸軍内のグループの会合で、
早々と計画されていたのに驚きました。
対ソの防波堤として、満蒙領有の意思を共有しており、
また中国の資源を手中にすることで、
米英ソに対することができるという構想をもっていたと。
アメリカは南北アメリカを制していれば、中国大陸にはわざわざ攻めてこないと
判断をしており、またソ連の計画経済による国力増大の前に実行しようと。

具体的な現地での計画と時期を、石原が主導し、1931年9月18日に実行するが、
その条件として、陸軍内の主要ポストに構想を共有する者が配置されており、
不況というのは、国民の喝采を得るに好都合であったのにすぎなかったと。
深入りすれば、面白そうなのですが、とりあえず今日はこの辺りで。


* 満州事変と政党政治 軍部と政党の激闘 (講談社選書メチエ)


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