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冷戦 第02回 「鉄のカーテン」 1945 1947 [歴史動画]

(1998米)戦後、ドイツでの深刻な食糧不足を、イギリスが援助した。
他国への援助のために戦中でさえしなかった配給制を採用することとなる。
英国は、ギリシャやドイツに軍事的経済的援助をする力がなくなったことを
アメリカに伝えることとなった。
共産主義の脅威の前に、アメリカが世界の警察の役割を担うこととなる。

イランでは、ソ連軍の「居座り」が問題となった。
1941年6月に独ソ戦となり、英ソは連合国となったが、東部戦線への輸送ルートとしてイランが重要となる。しかし、王が鉄道利用を拒否したため、同年8月に英ソはイランに侵攻。息子が新王となった。そして、「休戦後半年以内」で駐留軍が撤退する約束がなされたが、ソ連軍は帰ってくれなかった。
その件で、イランは1946年、国連安保理に訴える。
ソ連代表のグロムイコは審議の延期を提案し拒否され、退場した。

「鉄のカーテン」はチャーチルがトルーマンの地元で演説した際の表現だった。

さすがに冷戦を24回に分けた番組だけあり見応えありました。

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https://www.youtube.com/watch?v=-uvY7aoIlIU


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