SSブログ

英雄たちの選択 清洲会議 秀吉・天下への挑戦‬ [歴史動画]

(2014日)1582年6月に「本能寺の変」があり、秀吉は、毛利攻めから急きょ軍勢を引き上げ、山崎の合戦にて明智を破った。

が、これで天下人になった訳ではなかった。
織田家内では、信長の下に長男信忠、その下に5人の「取締役」がいた。
筆頭が柴田勝家、以下、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、秀吉だった。

この時点で信長の妹のお市は勝家を再婚相手と決めており、
勝家は信長の三男信孝を後継者としようとした。
この路線で決まれば、秀吉の天下はなく徳川幕府の一大名だったやもしれない。

そこで秀吉は信忠の息子の3歳の三法師を担ぎ自らは実権を握ろうと考えた。

そして、清須会議に臨んだ。

その会議は勝家が呼びかけ、勝家が最初に自らの意向を切り出した。
それに対して秀吉は後から主張し、途中、席を外した。
その秀吉の臨み方は現代的な心理学や交渉術においても優れたものだった。



英雄たちの 選択 : 清洲 会議 : 会議の 主導権の 握り方... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。