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英雄たちの選択 「戦国最大の悪人 松永久秀の真実」 [歴史動画]

(2018日)久秀は三好長慶に抜擢され将軍足利義輝にも近く、かなり複雑な中で生き、
義輝を近江に追放した。

中世奈良では興福寺が強く足利一門すら排除していたそうだが、
三好政権中に久秀は、奈良に乗り込み多聞山に築城。
興福寺や東大寺を見下ろせ、奈良の住民に威厳を示した。

義輝の弟義栄が14代将軍となっていたが、1568年に信長が義昭を奉じ上洛。
久秀は茶器「九十九髪茄子」と人質を出し服従し、奈良を任された。

が、興福寺側の筒井順慶が信長と義昭とに関係を深めたため、
孤立化し反信長となる。
が、敗れ、城を潰され孫を人質に出し、生きることができた。

1576年に大阪本願寺攻めに駆り出される。
この時の義昭の信長包囲網に久秀は70歳で呼応した。
信貴山に籠り、数か月で日本初の爆死を遂げた。
「平蜘蛛」も持って行った。

彼が育った場所が近畿でなく濃尾あたりなら大輪となったのやもしれない。
時代と個性で悪人と決めつけるのではなく、
奈良や濃尾というローカル事情も加えて考える複眼が新鮮でした。

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