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英雄たちの選択 琉球スペシャル第1弾▽独立を守れ!島津侵攻 尚寧王の決断 [歴史動画]

(2018日)琉球が直接幕府と交渉すれば、展開が変わっていたが、
全力で邪魔するだろう島津に、どう実際に運ぶかだったそうだ。

無理と思われても可能性を追求する根気と、
安易に使者を出すことで悪い展開を招くリスクも想定しなければならないという回でした。

せっかく作った石畳の道路で攻めてこられるなぞ、
現代の日本でもあり得る話やもしれません。

eiyu.jpg
http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-07-26/10/22917/2473143/

----memo

切り石は本土より200年早く1400年代に
曲線を多用する独自性

戦乱を経ていた

明に冊封 定期的に貢物 見返りの高価な物


1587年 秀吉に使者

秀吉の恫喝 島津の与力として 7000人の10か月の兵糧を要求
→半分で妥協 明に密告
(鄭ドウ 琉球王国の役人 貿易実務 対日強硬派 渡来系)



1597年 石畳の道路 首里城~浦添城

1598年 秀吉死亡 明との戦争終了 
   家康 日明貿易再開で利益を望む 琉球を属国化したい

島津としては琉球を秀吉から認められた与力として使いたい
 家康に介入されたくない 武力鎮圧示唆 義久の子家久を抑えた

   王の選択 島津を飛ばして家康に直接、明との仲介役をしてあげるという
       独立国の姿勢で使者を送るべきだった?
       1000丁の鉄砲

   明に貿易特許を要望するが、拒否される(日本との関係があり危険視)


本多正純の書状
 虚偽の明との講和を理由に島津に琉球に武力行使を止めさせる

1606 明から冊封

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1609年 幕府が出兵許可 島津軍3000が出兵

 沖縄北部で上陸2手に分けた。陸路は快進撃だった。
        石畳の道路を使われた。

4月3日 降伏

独立を維持


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