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西郷どん (27)「禁門の変」

(2018日)今回は桂小五郎(玉山鉄二)も見どころの一つ。
京都の一橋慶喜の屋敷前で物乞いに変装しているところを
暗殺犯が誤って家老級の平岡円四郎を殺める。即死。元治元年(1864)6月16日だった。

犯人が、長州説や薩摩の「人斬り半次郎」説など流布し、
桂も中村半次郎もキッパリと否定した。

実際は、京都町奉行所与力長屋の外での犯行で、慶喜を狙って誤った訳ではなく、
慶喜の下でのキレ者だったので、水戸の攘夷派に狙われたようだ。

ドラマでは、その後に慶喜の悪意かのように「池田屋事件」となるが、
この事件は6月5日で、古高俊太郎という志士の新選組の拷問による自白が元。
戦闘後に会津藩と桑名藩が加わっていることもあり、
会津藩主で京都守護職の松平容保と桑名藩主で京都所司代の松平定敬の兄弟と
禁裏御守衛総督の慶喜の三者の合意での池田屋襲撃なのでしょう。

この事件で多くの犠牲を出したこともあり、長州は当然に沸騰し、
過激派3000人が京都に向かった。3手に分かれ御所を狙う。

来島又兵衛が突っ込んでくる。銃で川路利良(後の初代大警視=警視総監)が狙撃。
西郷が戦闘停止させようとするも空気を読まない会津兵により地獄と化した。

ドラマでは正義の桂小五郎が長州過激派を抑えたのに西郷や慶喜の幕府側が
裏切って先に手を出したかのような演出となっている。

『八重の桜』で父が会津藩国家老の山川大蔵(玉山鉄二)の熱演を思い出させている。

古高俊太郎の自白が、「天皇を拉致する」「京都を放火」とあったのを
幕府側の証拠しかないと否定する説があるようだが、
実際に7月19日に京都で起こったことは、事実その通りのテロ行為だった。


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NHKオンデマンド 西郷どん (27)「禁門の変」
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