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花神 総集編 第4回 徳川を討て

(1977日)

村田は宇和島藩御雇の身分だったが、万延元年(1860)に長州藩士となった。
桂小五郎の約束とは違い、年米25俵だった。
慶応元年(1865)、5年を経て当初の約束100石が与えられることになる。


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馬廻役譜代の上士となった。


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5月27日、「村田」は百姓名なので、上士には相応しくないとのことで、
仕方なく、地名から「大村」とした。
さらに家系図の提出を命じられ、なければ「専門家」に頼めと役人は言った。
家系図をそれらしく作ってくれる業者だったが、
大村は、怒って退出する。


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この頃、西郷吉之助は坂本龍馬を薩摩に連れ帰っていた。
龍馬は先に下関に向かい、桂小五郎と会って西郷を待つことにした、
が、西郷は大久保の上洛を急かす手紙を受け取り、スッポかした。
西郷と来るはずだった中岡から聞いて桂は激怒。
そこに大村もいたようだ。
(桂、大村、坂本、中岡、白石)


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天堂晋助は高杉と桂の世話で長州藩士となった。
禁門の変以降も京に残り、情報活動と暗殺に従事していた。
お里は、天堂に人殺しを止めてほしかった。迫真の説得。


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慶応2年(1866)1月21日、薩長同盟。


6月、第2次長州征伐となった。
幕軍は下関方面5万、大島を奪って海上に2万、広島5万、益田から3万と言われた。
それを大村は3千で守ることとなる。
6月に大村は浜田城を落とし、7月石見銀山を奪う。
高杉も6月に下関で小倉城を落とした。


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めでたく、酒宴を楽しんだが、高杉は労咳を隠していた。
それを知った、右端 山縣 奇兵隊参謀の時山直八。


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NHKオンデマンド 花神 総集編 第4回 徳川を討て

「おもしろきこともなき世におもしろく」

慶應3年(1867)4月14日、高杉晋作、27だった。
「面白く」するため、臨終の時に筆を取ったことにしたのでしょう。
そんな力も残ってるはずがなかった。



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