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草燃える 総集編 第5回 尼将軍・政子(最終回)

(1979日)

建仁3年(1203)9月7日、比企能員の変を経て源実朝(11)は第3代将軍となった。
祖父の初代執権北条時政が支えた。
頼朝以来の功臣を潰しにかかる。


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元久2年(1205)6月22日、 畠山重忠 享年42 (ウルトラセブン)
時政の前妻の娘婿だったが、息子の重保と牧の方(時政の後妻)の娘婿の平賀朝雅との揉め事から謀反の疑いをかけられ滅ぼされる。


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が、人望のあった畠山重忠一族を滅ぼしたことは後味が悪く、
義時や政子、御家人は、時政や牧の方に不信を抱き問い詰めた。
牧の方が実朝を廃して娘婿の平賀朝雅を鎌倉殿にしようとしたことが発覚。

父時政は義時に言った。

 「いつのまにか 薄気味悪いやつに・・・」
 「悪党め、北条一族で最たる悪党よ、そなたは、」

時政と牧の方は閏7月20日に出家、京都守護だった平賀朝雅は殺害された。



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建暦3年(1213)5月3日 和田義盛も討たれた。
大功労者だったが、義時が挑発し和田一族を滅ぼした。


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三浦義村の妻は公暁(頼家の次男)の乳母だった。
公暁は園城寺(天台宗総本山)で修行していたが、
建保5年(1217)6月20日、18歳で鎌倉に戻り、祖母政子と再会する。


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公暁は三浦義村の四男駒若丸(京本政樹)と衆道の仲でもあった。
公暁は父殺しの恨みを実朝に抱いていたが、
義村は第2代執権北条義時も討つことを公暁に焚きつけた。


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建保7年(1219)1月27日、八幡宮拝賀を狙って、公暁は暗殺を実行した。
随行する北条義時も同時に殺害するつもりだったが、義時は身代わりを用意し離れていた。
三浦義村は実朝と義時が討たれれば、公暁を戴いてクーデターを実行する計画だったが、
義時が存命である以上、「知らぬ存ぜぬ」という立場で公暁を殺すことにした。
嗚咽する京本政樹だった。



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NHKオンデマンド 草燃える 総集編 第5回 尼将軍・政子(最終回)


後鳥羽上皇は、実朝暗殺を機に、政治的実権を取り戻すべく、義時追討の院宣を出した。不安が襲いかねない東国武士団を政子は奮い立たせた。

政子は、彼らに、敵となるも味方となるも自由としたところ、

真っ先に声を上げて忠誠を誓ったのが、三浦義村(現 藤岡弘、)だった。




戦が終わり、琵琶法師が義時の前に現れた。

「祇園精舎の鐘の声……」


滝田栄の伊東祐親が物語の伏線で作品に厚みを与えていました。
見事でした。





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