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北条時宗 総集編 前編 兄弟

(2001日)

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建長3年(1251)5月、第5代執権北条時頼と葛西殿より時宗は誕生する。
葛西殿は毛利季光の娘で戦で敵となり父を殺した時頼との婚約は破棄されず、恨みを抱いたまま時宗を育てた。(本当は北条重時の娘なのでしょう)


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時輔は時宗の兄で側室の子だった。
鎌倉幕府第6代将軍から上洛にあたり奉供人(ぐぶにん)筆頭を命じられた。
第6代執権北条長時も同意する。
第5代の時頼は病により臨時に長時に譲った。時宗成人までとのことだった。


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時宗は父から、「将軍の上洛を阻止してみろ」とテストされる。
後嵯峨上皇の皇子宗尊親王を将軍に迎え入れていたが、
将軍は兵1万と金を使う上洛を実行し、権威を示したかった。


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時宗は会議で上洛を止めるよう説得する。左から

安達泰盛 頼朝の流人時代から支えた安達盛長(『草燃える』では武田鉄也)の曽孫
北条政村 政子の甥、第2代執権義時(『草燃える』では松平健)の子
北条時宗 義時(第2代)→ 泰時(第3代) → 時氏 → 時頼(第5代)→ 時宗
北条長時 第6代執権、傀儡だった。政村の甥。(川崎麻世)
北条実時 金沢文庫の創始者



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(宗政、時宗、時輔)
時頼は息子3人を集め、遺言を口にした。
第一、「毒を盛った犯人を捜すな」だった。
第二、「第6代執権、北条長時を殺せ」だった。

その後、時宗だけには、「時輔を殺せ」と残した。


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長時が死んだ。
鎌倉幕府第6代将軍(吹越満)は、自分が長時に「時宗を殺せ」と命じたことが原因かもしれないと狼狽する。


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「信頼している」という時宗の言葉に、
時輔は「なら、目を瞑ってみろ」と刀を抜いた。


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兄時輔を六波羅へ飛ばすと同時に、時宗は執権を辞退した。
第7代執権が転がり込みご満悦の北条政村。
時宗14歳だったので、中継ぎだったのが正しいのでしょう。



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NHKオンデマンド 北条時宗 総集編 前編 兄弟

が、モンゴル帝国第5代皇帝フビライ・ハンから国書が届いた。
これを機に、18歳の時宗が第8代執権となり、政村は連著として支えた。

元の広大な光景や海の商人も描いており、見応えありました。




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