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春の波涛(はとう) 総集編 後編

(1985日)

明治32年(1899)19名でアメリカ巡業の旅に出て、成功したと思いきや、
売上を興行師に持ち逃げされ、貞たちは、路頭に迷うこととなった。
姪のツルは子どもだったので親切なアメリカ人に預け、シカゴまで歩いた。


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まず安ホテル1室に2人が客として入り、他は仕事で訪れたことにして占拠した。
左端が尾藤イサオ。中村雅俊と大河で連動して出演している。

1977 『花神』    伊藤博文(尾藤) 高杉晋作(中村)
1981 『おんな太閤記』 浅野長政(尾藤) 豊臣秀長(中村)
1985 『春の波涛』    丸山蔵人(尾藤) 川上音二郎(中村)


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地元の有力者と何とか交渉して1日舞台をすることになった。
条件が貞も芝居をすることだった。
劇中、疲労で倒れたが、観客は迫真の演技と捉え大成功。
以後、川上座は興行を重ねた。


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一方、福沢桃介は明治32年に「丸三商会」を立ち上げ順調かと思われたが、
慶応義塾の先輩の東京興信所が「信用絶無」と報告したため、取引先が離れた。
が、どうやら諭吉の手だったようだ。


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川上座はアメリカで大成功。パリに渡った。


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万博内ロイフーラー劇場で公演


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大成功。パリ社交界で、奴ドレスとして注目された。
エリゼ宮に招かれ大統領から勲章授与となる。


川上一座が帰国した翌月、明治34年(1901)2月、福沢諭吉、他界。
桃介は葬儀には出なかった。
「出たいが、ほっとした。息が詰まってた。偉大すぎて」
本音だった。


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明治座 日本初の『オセロ』

『ハムレット』『ヴェニスの商人』などシェイクスピア劇で存在感を示した。
成功し、大阪市に帝国座を作った。


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明治44年(1911)11月11日、川上音二郎は帝国座の舞台の上で永眠。
貞の願いで運ばれた。


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この頃、『カチューシャの唄』など歌う女優として松井須磨子が注目される。

貞奴は有名だったので地方巡業で困りはしなかったものの、
先細りで惨めにならない内にと、桃介が勧め、
大正6年(1917)に貞は女優引退を宣言する。

が、何の因果か、翌年、不倫関係だった島村抱月の病死を機に松井須磨子が自殺する。



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春の波涛(はとう) 総集編


その後、貞は桃介と暮らし、事業面でも支えた。


昭和21年(1946)、岐阜の貞照寺に眠ることになる。享年75
貞照寺は貞が私財で作った寺で、桃光院は桃介が由来だそうだ。

貞照寺は真言宗智山派の寺院で、智山派と言えば
インドの仏教界に飛び込んだ佐々井秀嶺氏、その師の山本秀順氏を思い出す。
(お会いしたことはございません)


実に我執に囚われず飛び出す方たちだ。

波乱万丈、堂々たる人生でした。




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