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西郷どん (45)「西郷立つ」

(2018日)

鹿児島の「私学校」には続々と士族が集まる。西郷を慕う者が多かった。


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奥右 中原尚雄(潜入調査員)
手前、元庄内藩士 榊原正治(まさはる)伴兼之(ばんかねゆき)
庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼き討ちし64名が死亡。
が、西郷は寛大な処置を取り藩を潰さなかった。


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明治9年、廃刀令にて、大山綱良鹿児島県令に対する桐野。



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桐野が中原尚雄を拷問にかけて白状させ、手にした文書。

「ボウズヲシサツセヨ」
「ボウズ」が西郷を指し、「シサツ」が刺殺か視察かが問題となる。

が、視察なら潜入調査開始から当然の日常業務であるので、
わざわざ文書としない。

キリスト教に改宗し聖書講義をしていた西郷だからこそ
電報を最小文字数で伝えるため「耶蘇坊主」から「ボウズ」としたのやもしれません。
そこに悪意も乗せているのは、川路だからでしょう。
(『西郷隆盛と聖書』 守部喜雅)



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桐野たち1000人規模で政府の弾薬庫から武器弾薬を奪った。


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弟の小兵衛から聞き、西郷は「しまった」と呟いた。
私的な猟のため離れていたことを悔いたのやもしれません。


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「敬天愛人」でしょう。



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2月17日に西郷隆盛と菊次郎が出発した。
妹の琴の息子の宗助、宗五郎も出発した。
市来家の兄弟は諸説あるらしい。


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西郷どん (45)「西郷立つ」


西郷が立ったと知らせを受けた大久保は自ら鹿児島へ向かおうとするも
岩倉が引き留める。
殺されるのは見えていた。






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