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西郷どん (46)「西南戦争」

(2018日)

明治10年(1877)2月、西南戦争となる。

戦の推移と戦死した者たちを史実どおりに正確に描くことは難しいので、
玄人受けはしないのでしょうが、心に残る作り方だったと思います。


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熊本城手前、川尻にて。
熊本鎮台は城下を自ら焼き払い、銃による守りを強化した。
賊軍となったことを知り、熊本城を通過することができなくなった。
東京へ尋問に向かうという目的は潰えた。


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碁石を使っての軍議。


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東京内務省


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3月4日、篠原国幹。39歳。一番大隊長。
廃藩置県時の御親兵では陸軍大佐、その後、近衛局長、陸軍少将。


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東京。西郷従道は薩軍として戦うと言い出すも、妻の清(きよ)が懇願する。


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「西郷隆盛が末弟、西郷小兵衛、チェストー」
最後の言葉だった。2月27日。30歳。


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勅使柳原前光が鹿児島を訪れた。ドラマでは、久光と有村俊斎が応対している。
柳原前光の妹が愛子で大正天皇の母。妻が宇和島藩主伊達宗城の娘。


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菊次郎は、右足を負傷、切断となる。


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木戸、「西郷君 ええかげんにせんか」
5月26日、43歳。


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大山綱良、52歳。鹿児島県令だったが、薩軍に協力したことで、長崎で斬首。
寺田屋の件で先に逝った有馬新七と地獄で待ってると、
「俺が政府だ」と言った大久保へ叫んだ。


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陸軍卿代理の従道の命で政府が保護すると使いが来たが、追い払う家族たち。


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8月16日、解軍とした。


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野戦病院にて。「母や弟たちのことを頼んだど」
死ぬつもりだった菊次郎に父は命令した。


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西郷どん (46)「西南戦争」


「 旦那さーが、西郷隆盛じゃなかったら、
  どんなによかったか。
  吉之助さーが、ただのお人じゃったら、
  どんなによかったか。」


桂久武に案内を頼み糸は戦場に入った。
こういうのは関係者の日記に記録がなかったからといって、
あり得ないことでもなく、会ったのやもしれません。
もし、そうであるなら、こういう会話がなされたのだと思いますね。





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