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西郷どん (47)「敬天愛人」(最終回)

(2018日)

前回、明治10年(1877)8月15日、宮崎県延岡での「和田越の決戦」で敗れ、
延岡市北川町俵野地区に逃れる。翌16日解軍となった。
西郷隆盛の妻イトは右足を負傷した菊次郎を看病した。


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官軍に包囲されていたが、
17日夜、可愛岳に向かった。イトと菊次郎は見送った。


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延岡を発って14日、450㎞、山岳部を突き進む。
9月1日、鹿児島県に到着。


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一旦は「私学校」を占領するも、当然に、新たに官軍が投入され戦うこととなる。


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城山で包囲されることととなった。


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西郷従道が菊次郎とイト、熊吉を西郷宅に戻した。
そこに、琴の息子がいなかった。
宗助は城山に残った。宗五郎は熊本山鹿での戦死だった。


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23日夜、城山では、村田新八のアコーディオンで乱舞となる。


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その頃、内国勧業博覧会だった。大久保の長年の夢でもあった。


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桂久武47歳。第15代藩主島津貴久の三男歳久の家系で一家は斉彬派だった。
「お由羅騒動」で次兄の赤山靭負は切腹。介錯が西郷隆盛の父吉兵衛だった。
斉彬の死で、大島に異動となり、そこで月照と自殺して生き残り、
幕府の目を逃れるため菊池源吾と名を改めた西郷と親交となったのでしょう。
元々、薩軍に入るつもりはなかったが、西郷さんと死ぬつもりだった。


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桐野利秋、38歳。大警視の川路利良が「半次郎ー」と叫び、桐野は振り返った。
頭撃ち抜かれる。が、半次郎は笑ってみせた。
面白すぎでしょう。


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村田新八、40歳。政府に残れば総理大臣となっていた。
幕末の動乱の中、西郷さんと行動を共にし、久光に遠島処分とされ、
戊辰戦争で戦い、江戸城無血開城の交渉を後ろで見てもいた。明治でヨーロッパへ留学もした。
大久保が明治11年に暗殺されると予測できていれば、政府に残るべきだと判断したでしょう。


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菊次郎、菊草、午次郎、酉三、寅太郎


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西郷どん (47)「敬天愛人」(最終回)


明治11年(1878)5月14日、紀尾井坂で暗殺された。
手に持っている紙は、西郷吉之助と少年期に藩内の探検中に斉彬の秘密工場を見つけ、
口止め料としてカステラを貰った時の包んでいた紙だった。
そこに「Cangoxina」と書かれていた。
約40年、斉彬から吉之助、大久保と受け継がれていた。






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