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英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」 [歴史動画]

(2019日)

歴代天皇の中で、和歌と武芸を好み刀を打つこともしたのは後鳥羽上皇のみだった。
壇ノ浦の戦いで草薙剣が失われたことが契機ではあったが、
多芸であり総合力がトップだった。

鎌倉幕府第3代将軍の実朝が京文化を好み、息子を次期将軍にして
実朝を右大臣で支えさせる計画もあった。
が、実朝が公暁に殺され、そのまま息子の親王を幕府に送っていいかが問題となる。

執権の北条義時がド汚い手段で頼朝の仲間たちを滅ぼし、
将軍も2代3代と悲惨な結果なので、さすがに後鳥羽上皇も不安となる。
北条はアコギなことを繰り返しているので貴種が必要だった。

承久の乱で後鳥羽上皇は隠岐島の処分とされたが、
朝廷は権威の存在となり、持ちつ持たれつ構造となった、という回でした。


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英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」

----memo

史上、最も天皇の能力が試された時代
共進化
和歌 武芸 刀を打つ

菊御作

後鳥羽天皇即位2年後 1185 壇ノ浦の戦い
草薙剣 x

菊五作伝説の背景

物と人との主客転倒

天皇自ら刀を作らざるを得ない 追い込められていたのかも

新古今和歌集
 和歌は世をおさめ 民をおさめ
 醍醐天皇の治世を+ 目的

1204 義時 実朝の正室を京の公家から
 後鳥羽上皇 利用した
  従妹を

 4か月後実朝12首をよむ

 実朝の「金槐和歌集」京へ
     忠誠を誓う

1213和田合戦

健保6年 1218 12月右大臣 異例の昇進
  2人で進められた計画

  上皇の子頼仁親王を将軍へ
 実現寸前まで

後鳥羽上皇 総合力1番 政治経済文化
  が、3種の神器がない

 和歌は趣味ではなく、美意識 普遍化 

 当時の日本 京都を中心とした西国国家
   無視できなくなった
  朝廷に払わなくなった

 鎌倉の御家人世界に貴種が必要

   実朝は京都より 源氏を守ろうとしていない
  鎌倉は在地の原理
 
  実朝 不安1

 承久元年1219 実朝暗殺 公暁
 義時 京へ使者を派遣
   親王を鎌倉へ派遣を要請

 後鳥羽の選択 親王下向させるべきか 拒絶か
  
  鎌倉へ使者 義時の真意を探らせる
   朝廷に従うか試す  義時 すぐ1000騎派遣 拒絶

  この時期 義時 領地少ない 
   ド汚い手で御家人を滅ぼしている 貴種が必要

   後鳥羽 九条の子を送った  みとら
           苦渋の選択

   裏 源頼茂の陰謀 討伐される 内裏焼失

   内裏再建頓挫 非協力

 承久3 1221 1000騎集める 乱
          義時排除

 半月 義時 三浦義村は幕府に誓約 
    決めて 政子の演説

 義時追討が目的だったが、御家人へは倒幕として情報操作

 18から1万に膨れ上がった

 605 岐阜で激突 
  義時追討の院宣を取り消す

  関東武士と義時の分断をしなかった

 鎌倉幕府 頼朝とその仲間たち
      義時とその仲間たち になっている
   この場合は、義時と幕府と同義だろう

 関東の連帯の強さを過小評価した

 皇位継承に幕府口出し
  上皇 隠岐島へ
           享年60

大澤 唯一の革命 武士の主体性が初めて獲得
  御成敗式目 承久の勝利から自信

 鎌倉時代のデモクラシー

 財力武力権威 権威だけが残った

 持ちつ持たれつ国家になる


大変革3つの時代

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