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いだてん~東京オリムピック噺~ (8)「敵は幾万」

(2019日)

嘉納治五郎が設立した大日本体育協会も文部省も
五輪出場選手の旅費を負担しなかった。


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短距離の三島弥彦の家は薩閥で裕福であるが、
マラソンの金栗四三は、兄が田畑を売って用意することにした。
後に妻となる幼馴染の春野スヤは、この時期、庄屋の池部家と縁談があった。
その縁で、1,800円で売却し、そのまま田畑は使っていいということになった。


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播磨屋は3枚重ねの足袋を作ってくれたが、
さらに、日の丸入りのシャツまで用意してくれ感動する。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (8)「敵は幾万」

三島弥彦と金栗四三を新橋から大勢が見送った。
『敵は幾万』という軍歌で送られた2人は勝つことを課せられた。

弥彦は母が反対していて黙ってストックホルムへ行くつもりだったが、
母もギリギリ間に合った。日の丸を縫ったシャツを弥彦に手渡すが、
いつ知って、縫いはじめたのか、この文章を書いている段階で疑問となった。
出発日に知ったが「今なら間に合う」と縫い始めのやもしれません。




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