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英雄たちの選択 「この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦~」 [歴史動画]

(2019日)

オランダ語の医学書を見て、まず絵に驚き、
実際に見たくなり、3人で見、翻訳出版を決意する。

奥医師を加える等、反対の芽を摘むこともする。
事前に派手な広告を打ち幕府や世間の反応を確認する。
翻訳の完全に拘る前野良沢の反対を押し切り出版に踏み切る。

出版大規制前の田沼時代だからこそ可能であり、
遅れていれば不可能だったやもしれない。

アルファベットすら知らなかった玄白が、翻訳で結果を残した。
見事でした。

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英雄たちの選択 「この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦~」

----memo


1771 玄白 不破家見学を許可される

3人で処刑所
 小浜藩 範囲 中川淳庵 
 中津藩 範囲 前野良沢


この翻訳が後の基本形
 門外不出でない 新しい医学を興す

会読 みんなで本の内容
後の蘭学へ

絵があったから 挑戦できた

概念が無い場合
  神経 動脈 静脈 もなかった

 新語をつくった

翻訳とは別の問題
 
  奥医師 桂川ほしゅう を一員に迎えた

2年後 解体新書の宣伝広告
  世間の反応をみた
 幕府の咎めなし

 医学書だったのがよかった 絵があった
  漢方の本も読んでるから熟語が作れる

漢方の権威 多紀氏 がいるので 転向は難

銅版技術は無かった

 秋田蘭画創始者 小田野直武 源内の紹介
半年で模写を完成 木版で

前野良沢 出版に反対しだした
  翻訳が不完全なので 
 完璧にしたかった

1774 出版 解体新書

 長崎通事 から 誤訳の指摘
 漢方医から批判

1805 玄白の弟子が「医範堤綱」 医学書出版

 大衆にも普及した

 農村にも影響 
「解体人形」   「近代」の足音
  小林文素 文政4~5年 解体新書を見たから

1817 玄白死去 享年85
 
  文化から文明

医師 国手こくしゅ 国を
  田沼時代でよかった 後は出版大規制

 良沢は名前を載せることを辞退した

 訳 玄白が責任をとるという配慮

「日本」と書いたのは輸出を意識していたのではないか

日本刀で斬った後、観察していなかった


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