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翔ぶが如く 第1部第22回 燃える思い 吉之助召還

(1990日)

前回、元治元年(1864)2月15日の参与会議の翌日の中川宮邸での酒宴で、
一橋慶喜が暴言を吐き、参与会議を崩壊させた。
「横浜鎖港問題」で、薩摩主導の開国が許せず攘夷を慶喜と松平容保が主張。
薩摩の島津久光が骨を折った参与会議だったが、これで潰れる。


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(松平定敬、松平容保、一橋慶喜)
定敬は桑名藩主で京都所司代。会津藩主の容保は兄弟で京都守護職。
参与会議崩壊で、幕末京都で一会桑政権となった。


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(小松帯刀、大久保一蔵、伊地知正治)

薩摩藩が外された局面において、
伊地知が沖永良部島にいる西郷吉之助の召喚運動を始めた。


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(吉井幸輔、村田新八、西郷信吾、西郷吉之助)

吉井と信吾が沖永良部まで迎えに行った。2月21日に到着。
召喚状は無かったが、喜界島に寄り村田新八を乗せる。
鹿児島に28日に到着し、斉彬の墓参。3月14日に京都に到着する。



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翔ぶが如く 第1部第22回 燃える思い 吉之助召還


久光に謁見した吉之助は、神妙に振舞った。
軍賦役を命ぜられた。

4月17日に久光と大久保は薩摩に帰った。
吉之助は京都で、軍賦役兼諸藩応接掛となり、任された。

西郷を嫌っていた久光だったが、狭量な無能ではなかった。





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