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徳川慶喜 第16回 大獄のはじまり

(1998日)

安政5年(1858)8月、密勅が発せられた。

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(老中・間部詮勝  大老・井伊直弼)
   
 九条関白を通さない勅諚の背景を分析する。
鷹司輔煕・近衛忠煕・中川宮・正親町三条の陰謀とした
背後に水戸の老人・徳川斉昭が公家を煽ったとする。

井伊は、間部に天子様に会って条約調印の事情を説明し
この世を乱す者を取り締まるよう命じた。

井伊の願いは公武合体とし、
慶福(家茂)が将軍となれば、和宮を御台所に迎えるとした。


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斉昭は勅諚が藩主の慶篤に渡ったことを知る。
慶篤が勅諚の扱いに悩んでいると聞くが、
側近が幕府側なので、斉昭の言うことは素直に聞かなくなっていた。


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その頃、慶喜の配下だった新三郎がみよと駆け落ちし江戸を離れて暮らしていた。


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新三郎の妻が、ようやく探し出し、夫が幸せそうなのを知り、
夜中に侵入し、子どもを自宅まで連れてきた。


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老中の間部は京都所司代酒井忠義に、命じた。


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前関白の鷹司政通邸、妻が徳川斉昭の姉。息子の輔煕は右大臣

そこへ、水戸藩京都留守居役の鵜飼吉左衛門と息子が捕らえられたと知らせがあった。
父が病気で密勅を受け取ったのが京都留守居役助役の幸吉だった。


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徳川慶喜 第16回 大獄のはじまり


鵜飼吉左衛門への拷問が始まった。
杉さまに容赦はなかった。



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