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翔ぶが如く 第1部第25回 薩長同盟

(1990日)

慶応元年(1865)5月、駐日フランス公使ロッシュの裏工作で、
英米仏蘭が日本内乱不干渉と密貿易の禁止を取り決め、長州は事実上の経済封鎖となった。


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(坂本竜馬、村田新八、西郷吉之助、大山巌)

9月、伏見薩摩藩邸。
竜馬は、南北戦争が終わり、武器弾薬が上海で余っている
それを長州に用立て、豊作の長州は薩摩へ米を用意するというビジネスを語る。

西郷は、大いに得心。
命を狙われている竜馬に対し、薩摩藩士と言ってよいと気遣う。

実際には閏5月に西郷が下関での桂小五郎との会談をすっぽかした1月後の
6月には西郷と竜馬で長州に武器を用意する話は合意できていたようだ。
 
 
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(第14代将軍、徳川家茂)

9月に4か国が兵庫沖に停泊し開港を要求した。
長州撃破の責任を幕府に求めた
大坂城で慶喜は京へ行って長州再征討の勅許を貰ってくると家茂に言った。


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伏見寺田屋にて、竜馬は、長州の桂が京や大坂に危険を承知で入るが、
前回、すっぽかして恥をかかせ、次も恥を重ねれば、桂は死ぬことになる、
と西郷に言い聞かせた。

また、薩長同盟が成立しなければ、この世に意味もなくなるので、
西郷と桂を殺し自分も自害すると西郷を脅した。


この頃、幕府が大坂の豪商への献金強制し、物価の高騰を招く。



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慶応2年(1866)1月10日。
薩長の会談となる。桂が薩摩に受けた恥辱を言い聞かせ、西郷が頭を下げる。

この段階では竜馬は到着していないが、
1月20日に薩摩藩邸に到着。まだ成立していないのに業を煮やし、
桂の元にかけつけ、事情聴取。薩摩から話をするように説得。
翌、21日、成立となる。



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23日、寺田屋で竜馬が伏見奉行に襲撃され、2人を殺し逃げた。
その後、薩摩藩邸で匿われ、船で薩摩へ向かった。
おりょうも連れていき、日本初の新婚旅行となった。



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(大久保満寿子、おりょう、西郷イト)

3月、坂本夫妻は西郷家に世話になったようだ。
おりょうの夫だけが、畳の上で死ぬことができた。


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翔ぶが如く 第1部第25回 薩長同盟


7月20日、大坂城にて家茂が薨御。
連絡を受けた和宮は、「天璋院様」と、慎ましやかに泣き崩れた。

奥に入る際の「天璋院へ」と15歳の少女の高飛車な態度など、
『翔ぶが如く』では本筋ではなく、弱弱しく描かれた。



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