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太平記 第2回 芽生え

(1991日)

赤橋守時に母が借りていた『古今和歌六帖』を高氏は返しに訪ねた。
後に正室となる妹の登子が応対に出る。


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北条氏一族で、第2代執権義時の孫の長時の流れの得宗家に次ぐ名門、
長時は第6代執権となるが、兄守時も後に第16代執権となる。
赤橋に屋敷を構えていたので、赤橋を名のったそうだ。


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時宗の僧侶と信者が群れをなして歩いていたが、
第14代執権北条高時の内管領長崎円喜(フランキー堺)の行列とぶつかった。
すると長崎の手下が勝手に時宗の信徒を斬り殺そうとしだしたので、
見かねた高氏が止めに入り斬り合いになった。
そこで、山伏の姿になっている後醍醐天皇の側近日野俊基が加勢。
その場は収まり、高氏はケガの手当もして貰う。


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京都での連絡先をその場で書いてくれた。


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帰宅すると、既に長崎からクレームが入り、母が父に謝罪しろと言う。
しかし、高氏は自分は悪くない、鎌倉は嫌いだ、と父に言うと、
鎌倉にいたくなければ出ていけ、と言われてしまう。


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父に謝るよう直義も兄の高氏に勧めるが、
高氏は鎌倉を出て京に向かうつもりでいた。


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高氏は足利領の飛び地の伊勢に向かった。
父が長崎に詫びた形になり、高氏も京を見たかった。
伊勢神宮の荘園から貢物を運ぶ列に加わるという名目だった。
途中、足利家に恨みを抱く、石(柳葉敏郎)に命を狙われる。


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(藤夜叉、石)

石も藤夜叉も花夜叉一座に拾われた。
花夜叉(樋口可南子)が楠木正成の妹で、後に藤夜叉と高氏との間に直冬が産まれる。


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TSUTAYA 太平記 完全版 


1324年9月、19歳の高氏は京に入った。
「トレンディー大河」と言われたらしいが、
花夜叉一座の設定に面白そうだと笑うしかなかった。




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