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翔ぶが如く 第1部第26回 討幕への道

(1990日)

慶応2年(1866)6月、第2次長州征伐となるが、
長州では大村益次郎の指揮により、幕軍10万に対して5千で勝利する。
7月に将軍家茂が死去。慶喜は朝廷に休戦の勅命を出してもらった。
幕府の権威が落ちた。


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駐日英公使パークスの通訳官アーネストサトウが、
慶喜が駐日仏公使ロッシュと図って兵庫開港のため
大坂城で各国公使を引見する準備中と西郷吉之助に伝え、
援助の申し出をしたが、西郷は断った。
国内のことは日本人で決着をつける、とのことだった。
サトウは、「危ない借りは作りたくない、と報告することにます」
西郷にウィンクし、西郷もウィンクする。


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(島津久光 伊達宗城、徳川慶喜、松平春嶽)

慶応3年(1867)5月二条城に慶喜は集めたが、土佐は欠席した。
雄藩会議を慶喜が振り回す。
フランスの物品を見せびらかし、写真を撮った。


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(西郷吉之助、小松帯刀、西郷信吾、大久保一蔵
    村田新八、大山弥助、西郷小兵衛)

慶喜の考えを知り、倒幕の覚悟をする。
吉之助は戦は自分が責任を持つとし、その後のことを考えるのは大久保に任せた


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(大久保一蔵、小松帯刀、島津久光)

新政府は久光の御手のままで当然に会議の先頭に立って頂くと
一蔵は久光に夢を与えた。

久光は一蔵に「その方どもの思う通りに働け」とご満悦だった。


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7月、慶喜は、列国の支持を集めるため大坂城に招いた。


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9月、一蔵の工作により岩倉の謹慎が解かれた。
その祝いの席だったが、中山卿を使って幼帝をコントロールしようと企む。


10月13日、在京40藩の代表が二条城に集まった。
慶喜の大政奉還だった。同日の倒幕の密勅が無効となる。
その後、竜馬が薩摩藩邸を訪れ、新政府人事構想を西郷に渡した。


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薩摩4長州3で土佐は後藤だけだった。西郷は驚く。
竜馬は、「世界の海援隊になる」と語った。


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翔ぶが如く 第1部第26回 討幕への道

11月15日、京都近江屋にて。
中岡慎太郎は2日間生き延び、詳細を語り他界した。

そして、司馬は大久保一蔵に語らせたのでしょう。

この国の混乱を収めるために、天が坂本竜馬を地上に送り、
その役目が終わった時、惜しげもなく天に召し返した。




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