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翔ぶが如く 第1部第27回 王政復古

(1990日)

慶応3年(1867)、10月14日に大政奉還が天皇に奏上。
翌15日に勅許となるも、物騒な世の中が続いており、
戦の準備は各藩で進められていた。


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西郷吉之助の長弟吉二郎は、西郷家の人間を食わせるため
兄の分も含めて苦労してきたが、戦での功を望んだ。
11月13日の藩主忠義の3千の兵での上京に同行することとした。

先妻マスとの子に勇袈裟とミツを儲けたが、慶応元年にマスが他界。
後妻の園と共にマスの墓を参る。


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(西郷吉之助、大久保一蔵、岩倉具視)

刀を差して変装して、岩倉は歩いた。
長州と芸州と合わせて慶喜を一気に倒す時と確認した。


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(山内容堂、松平春嶽、徳川慶喜)

12月1日に吉之助と一蔵で、8日の決起を確認、
土佐藩元藩主の容堂が、薩摩の動きを慶喜に報告。
御所を守っている会津と桑名を外そうとする計画で、
慶喜も黙認した形になった。


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岩倉が公家が動揺していることから
土佐から慶喜に計画が漏れたと分析し、岩倉も動揺した。 
しかし、大久保も西郷も岩倉の決意を固めさせた。


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12月9日未明、薩摩兵が御所を奪った。


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(島津忠義、、松平春嶽、山内容堂)

春嶽と容堂は、岩倉から議定として慶喜も参加すると聞いていた。
当然に、午後4時の小御所会議では、慶喜の不参加が問題視される。
が、吉之助の「短刀一本あればすむ」という脅しで黙らせた。


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薩摩の勝利となる。徳川の辞官納地、朝廷人事、三条の赦免など 
全てご裁可となった。


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慶喜は、一触即発の状況に大坂城に移動。
12月16日、6か国の使臣と会い、外交権を確認する。


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(前列 西郷小兵衛、西郷信吾、大山弥助)

大政奉還後の江戸では、薩摩藩士を名のる狼藉が横行。
12月25日、三田の薩摩藩邸が焼討される。
横浜へ銃を買いに行き江戸へ激励するよう吉之助に命じられた3人は、
顔も洗わずの上京となった。


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翔ぶが如く 第1部第27回 王政復古

(岩倉具視、大久保一蔵)

この混乱期、岩倉は幼帝をお守りする確認を怠らなかった。





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