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翔ぶが如く 第1部第28回 江戸開城

(1990日)
 
慶応3年(1867)12月25日の江戸薩摩藩邸焼討事件は、
28日、大坂城の慶喜が知ることになる。
翌年、1月2日、旧幕府軍13000が、京都に向かった。


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4500の兵を西郷吉之助がまとめていた。


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(大山格之助、大久保一蔵)

公家の動揺を鎮めに向かった。


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1月3日、鴨川上の小枝橋で、旧幕軍と薩軍が睨み合った。


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(村田新八、伊地知正治、西郷小兵衛、西郷信吾)

勅命によって参内する慶喜の先遣隊だったが、
伊地知は旧幕軍を通そうとしなかった。

しびれを切らした幕軍が発砲し、戦闘が始まった。


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御所にて土佐の前藩主山内容堂は、「戦に帝を巻き込む気か」と怒鳴ったが、
大久保は居直った。

「その通り、帝を擁しての戦である」

その頃、錦の御旗が掲げられ、幕軍の戦意は喪失する。


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(徳川慶喜、板倉勝静、松平定敬、松平容保)

錦の御旗を掲げられたと知った慶喜は、1月6日、大坂城を脱出することを決断。

西郷吉之助に匹敵する者はいるか?
大久保一蔵に匹敵する者はいるか?

慶喜の叫びだった。


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翌7日、慶喜追討令となる。
三条実美が読む。


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1月12日、江戸城浜御殿。勝海舟が呼び出された


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慶喜は何とかならないか、頼んだ。


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朝敵とは会わないと和宮に面会を拒否された慶喜は
天璋院へ和宮に朝敵を外してもらうようお願いできないかと頭を下げた。


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天璋院の侍女幾島が、西郷を訪ねた。



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3月14日、西郷吉之助、勝海舟との会談。


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(大久保一蔵、桂小五郎)

西郷の寛大処置に反対を述べる桂。あくまで、慶喜を殺したかった。
元々は、岩倉が寛大だったのを西郷が強硬姿勢を通そうとしたが、
天璋院や和宮らの働きもあり、慶喜は謹慎で済むことになる。



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翔ぶが如く 第1部第28回 江戸開城

(幾島、西郷吉之助、天璋院篤姫)


江戸城が明け渡され、天璋院と姑の本寿院は、一橋家に向かった。
落飾して静寛院宮となった和宮と姑の実成院は田安家に移った。

幾島は、薩摩琵琶を奏でた。


「世の中はみな仏なり おしなべて いずれの物とわくぞはかなき」






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