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英雄たちの選択 「不可能への挑戦~河井継之助の北越戦争~」 [映像-歴史]

(2019日)

買ったガトリング砲を一度は使ってみたかったのが本音であり、
武装中立が成功するとの確信もなくやっていたのでしょう。

新政府軍に加わるとガトリング砲を旧幕軍に向けることとなる。
それは嫌だ。が、3万両出しても今後の保証はない。
どうせ武士の世は終わる。

江戸城も明け渡された後の5月の段階で
「東北諸藩を説得します」と言っても
「何、眠たいこと言ってんねん」
となったが、河井の意地は見せた。

ガトリング砲の魔力が、自分たちの命も軽くさせたのやもしれません。


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英雄たちの選択 「不可能への挑戦~河井継之助の北越戦争~」

----memo


1827 誕生 

陽明学に心酔

1837 天保 大塩

新潟湊 密貿易発覚 幕府に 没収される
長岡藩 財政危機へ

1853 ペリー 牧野 藩主と老中

 意見書提出 役職与えられる
 重役会議列席  重役批判激怒させる
  御進講役を断る

西国を旅し 松山藩を訪ねる 山田方谷から 
 藩士としての心得  特産品を藩士が自ら販売 利益を得ていた

陽明学は反体制も含む 変革イデオロギ

朱子学は幕府が認めた 体制イデオロギー


1860 井伊暗殺 

 郡奉行に抜擢された
  治水工事 米の増産に成功
 流通の促進 信濃川の通行税を廃止
  商業 新規参入
 2年で10万両を蓄えた

王政復古
朝廷に 徳川養護で出すが 黙殺される

がドリング砲2台 6000両購入

新政府軍への参加か3万両だせと要求される

会議紛糾 

家老上席軍事総督に任命
恭順でも抗戦でもない 武装中立を


5月2日 慈眼寺 交渉 
 嘆願書だす 東北を説得したい
 が、30分で立ち去られる  受理されず

連邦国家を考えていたのではないか

再交渉を願い出た 中立でいたかった 
他藩にあっせんを願い出たがダメ

東北諸藩と軍事同盟
5月10日 戦となる

が、翌日落城

 が、ゲリラ戦へ 
  724 長岡城奪還に成功
     しかし 重症 
 4日後 城は新政府軍へ

 町は 焼け野原となった

塩沢村 42で死亡 墓に名はなし 賊軍の将だから



八十里 こしぬけ武士の 越す峠


うまく負ける方法を知らない

どうせ武士は滅ぶ

最後まで捨てない人

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