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徳川慶喜 第18回 桜田門外の変

(1998日)

安政5年(1858)7月、井伊直弼は、条約調印で文句を言ってきた連中を処分した。

徳川中納言斉昭、謹慎。松平越前守慶永、隠居謹慎。
徳川大納言慶勝、隠居謹慎。徳川中納言慶篤、登城停止。
徳川刑部卿慶喜、登場停止。


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この段階では、慶喜もまだ、心に余裕があり、
『町娘、恋の春雨』を読む。


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安政6年(1859)一橋家家老の土岐朝義が倒れた。
藩主の慶篤を変えようとする動きもあり、気をつけてください、
とのことだった。

が、この年、慶喜に隠居謹慎処分が下った。
慶喜の場合は登城日でのクレームで不時登城ではなかったが、
問答無用、井伊に容赦はなかった。


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水戸藩は狙われた。父、斉昭は永蟄居で水戸へ帰国。
家老の安島帯刀が切腹、京都留守居役だった鵜飼親子、
他、平岡円四郎が御役御免など、容赦なかった。
他藩や朝廷を含めれば100名以上となり、
さすがに、慶喜は己の無力に取り乱した。


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(高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介、有村次左衛門)

有村は薩摩だったが、他は水戸で、暗殺計画を練った。


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安政7年(1860)3月3日、桜田門外。


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井伊直弼は、水戸藩士が20名脱藩したことを事前に知っていた。
警護を増やすよう老中から進言があったが、恥とし拒否していた。
堂々と刺される。


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徳川慶喜 第18回 桜田門外の変


その日、慶喜は、報告を受けた。





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