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いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」

(2019日)

昭和20年3月10日の東京大空襲で100万の罹災者となり、4月13日の空襲で、
志ん生の自宅を失い、松竹で聞いた満洲慰問団に参加することになった。


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昭和20年7月、新京放送局のアナウンサーだった森繁久彌に引率され各地を回った。
森繁は、ソ連が参戦すれば危険だと分かっていた。


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出陣学徒だった小松勝は負ける戦と知った上官の決断により逃げていた。
志ん生の「冨久」にリアリティーが無いと「指導」し追い払われていたが、
奉天で再会し大連に着いた。


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小松勝は志ん生の「富久」が自分の指導で上達していることに感涙。
日本の家族にハガキを送りたくたくなり、途中で出た。


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が、ソ連兵に見つかる。とっさに逃げた。
素直に話して無事解放してくれると期待するほど愚ではなかった。


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銃撃され、東京の家族に遺品が届く。
送ろうとしたハガキには「志ん生の富久は絶品」と書いてあった。


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志ん生が大連で船に乗れたのは、昭和22年1月だった。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」


24日に佐世保に着き、電報を打ち、27日到着した。
1か月のつもりが、約2年となった。

今回、志ん生と小松親子、金栗との関係、
妻のりんが、バーで占ってもらい田畑と会うなど、
繋がってきたことの感動と、敗戦前後のソ連参戦と満洲の現実に
今回、特に胸に迫る回でした。




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