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中村彰彦 信長軍団の戦い方 [講義等]

(2019日)


中村彰彦
作家。東北大学文学部卒。

※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


(1)母衣衆と織田信長の残忍性
(2)シーレーン構想と明智光秀の謀反
(3)信長と秀吉の戦い方を比較


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10mTV 中村彰彦 信長軍団の戦い方


長篠の戦いの鉄砲3000挺を揃えたことだけでも凄いことだが、
柵木1本を各々持ってこさせ馬防柵にし、出入口もつくって兵隊が出入りできるようにした。

また、岩倉織田氏や伊勢大河内城を回の字に囲み降伏させる。

黒母衣衆と赤母衣衆に伝令をさせ、将校候補生とする。
秀吉は黄色で木村重成は白だったともいう。

伊勢長島では2万を焼き、兵は焼き魚を食べれなかった。

光秀が、坂本城、安土城、長浜城を取って2000で守らせ、
琵琶湖シーレーンに秀吉を誘い込めれば変わっていたのやもしれず、
光秀に官兵衛がいなかったと言う。

佐久間信盛が大坂で5年いて死か高野山かの選択となったり、
光秀も丹波を取り上げられたり、たまったものではない。
蒲生氏郷が会津100万石を貰って泣いたように、誰しも天下を望むものだったのやもしれません。

今回も生々しく、面白かったのですが、
私も魚で思い出しそうです。




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