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英雄たちの選択  “奇跡”の藩政改革者 山田方谷 無血開城に挑む [歴史動画]

(2018日)19c 標高450mの山城を構える岡山県の備中松山藩は2万石でありながら
5万石だとの粉飾で借金を重ねるという無茶なことをしていた。

当然、藩財政も領民の暮らしも厳しかった。
藩主板倉勝静(カツキヨ)は26で家督を継ぎ、
学問の先生だった45の方谷を藩の内政を任せた。

方谷は農民あがりだったが勝静はどうでもよかった。
が、勝静は吉宗の血を引いており老中になれる家だった。

方谷の藩財政改革の辣腕は素晴らしかった。
経済の面だけでなく、軍事面でも銃を農民に持たして隊を作った。
ペリー来航以降の危機の準備だったが、これが後に使わずに役に立つこととなった。

1868年戊辰にて幕府が敗走すると、隣の岡山藩が官軍につき攻めてきた。
が、農民鉄砲隊が籠る山城を拠点に、勝静のいない城で方谷が
見事な交渉を成した。

晩年、母親の故郷で私塾を開き、70で学び続けた人生だった。
素晴らしく感動の余韻が残る映像でした。

番組では2度の離婚には触れていないが、
時間がもったいないので仕方ないのでしょう。

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http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018086069SC000/?capid=nte001
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