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西郷どん (12)「運の強き姫君」

(2018日)篤姫の第13代将軍家定への輿入れの件が滞っていた。
嘉永6年(1853)夏に江戸藩邸に移り、2年が過ぎようとしていた。

そこで教育係の幾島が、家定の母本寿院と会うこととなった。
家定の2人の正妻を亡くしていたこともあり、
健康な薩摩の姫ということが大きかったようだ。

第11代の家斉の正室の広大院が第8代薩摩藩主の娘で御台所として権勢を奮ったこともあったので、将軍家や薩摩藩主にとっては望ましいことだった。

が、異議を挟むのは彦根藩主井伊直弼であり、
次期将軍に一橋慶喜を推す斉彬が煙ったかったようだ。


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NHKオンデマンド 西郷どん (12)「運の強き姫君」
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