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勝海舟 総集編 前編

(1974日)文政6年(1823)江戸で誕生。父が41石の無役でケンカ生活を送っていたようだ。
よって、奢侈ではなくとも、ドラマで強調する程の貧乏ではないだろう。
剣術を習う暇も、学問に打ち込める余裕もあった。

天保10年(1839)の「蛮社の獄」という言論弾圧事件で捕まった高野長英の本を
どこかに忘れ友人が届けてくれたが、危ない本だったので、
父が息子に問うシーンは渡哲也主演の見どころでしょう。
また父役の尾上松緑の風格が気になって調べると人間国宝だった。

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長英は脱獄し、顔に硝酸をかけて捕まらないようにしたが、
嘉永3年(1850)に密告で捕まることとなり自殺するが、
勝も蘭学で名があり師との関係からか一か月前に勝邸を訪ねていた。


当時、西洋砲術の第一人者として佐久間象山が有名だったが、
嘉永5年(1852)に妹と象山が結婚することになったので、年齢は12象山が上だが、
勝が義兄となる。佐久間の影響で西洋兵学も学び塾を開いた。

翌嘉永6年(1853)ペリーやプチャーチンが来航し、老中の阿部正弘は広く意見を求めた。
この機に勝は意見書を提出し阿部も見たようだ。
そして、目付兼海防掛の大久保忠寛と出会い、安政2年(1855)異国応接掛附蘭書翻訳御用となる。その年に長崎海軍伝習所へ行くこととなった。

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そこでは、オランダ語での授業でノートも禁止されていた。
各藩俊才の集まりだから成立していた。

オランダ人が口にしていた歌を勝は翻訳したが、
オランダ改革派教会の讃美歌だった。日本人初の讃美歌翻訳者となった。


そして政局の変化が激しい安政5年(1858)、井伊直弼が大老となり
中央では、勅許無しで通商条約を調印。
勝は咸臨丸で琉球へ向かうが薩摩へ行き島津斉彬を舟に乗せ交流する。
が、間もなく、第13代将軍家定の死去に続き、斉彬も他界する。

「安政の大獄」の心配もしたが、新設する軍艦操練所の教授となる。

そして、万延元年(1860)、批准書交換のため渡米することとなる。
咸臨丸にはジョン万次郎や福沢諭吉も乗っていた。

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NHKオンデマンド 大河ドラマ 勝海舟 総集編 前編
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火の鳥 太陽編 その一

(2004日)「白村江の戦」の後が舞台。
唐・新羅x和国・百済遺民 だった。

主人公の男は唐軍に捕まった。タトゥーから百済の王族と知られる。
処刑ではなく、顔面整形手術を施され、二足歩行する狼となった。

そこからの旅となった。
ケガをし、助けてくれた医者のお婆さんと逃げることとなった。
そうすると、倭国の軍司令官が倒れていた。


さすが手塚治虫でした。3分で見てみたいと思えましたね。
当時の首都が大津京だったことなど、時代の勉強にもなりました。



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