SSブログ

花神 総集編 第3回 崩れゆく長州

(1977日)

文久3年(1863)5月10日に孝明天皇の悲願である攘夷決行を長州藩は実行。
関門海峡を通過する外国船へ砲撃した。「下関事件」

当然だが、翌年、英米仏蘭の四国連合艦隊が長州に報復することとなった。


kasin1.jpg

秘密留学生5名は英国で知る。間に合わないと知りつつも、
3月、伊藤と井上馨の2名が日本へ向かった。


kasin2.jpg

元治元年(1864)6月5日、新選組が池田屋を襲撃。
吉田松陰と東北旅行を共にした熊本藩士の宮部鼎蔵(高橋悦史)もいた。


kasin4.jpg

7月19日、「禁門の変」。来島隊が崩れ、遅れてきた久坂玄瑞は鷹司邸へ入り、
鷹司輔煕に嘆願するも、拒否。
寺島忠三郎と刺し違える。壮絶なシーンだった。


kasin5.jpg

留学から帰国した井上馨。
「ここまでくれば、四国艦隊と徹底的に交戦すべし」 と主張。

そして、高杉、伊藤、井上ら、和平交渉。
賠償金を幕府に払わせることに成功する。



kasin7.jpg
NHKオンデマンド 花神 総集編 第3回 崩れゆく長州


「禁門の変」で朝敵となり、藩の幕府恭順派(俗論派)政権では、
3家老4参謀の命で済むものではなく、長州藩の命運が尽きるのは見えていた。

元治元年(1864)12月15日、高杉晋作、挙兵するにあたり、
昨年の8月18日の政変で京を去った5卿から盃を受ける。

伊藤は早くから高杉の手足として動いた。
が、山縣有朋は制止する側で、決起後、高杉らに従わざるを得なくなった。
ここから3歳下の百姓出の伊藤が、山縣を抑えるようになったようだ。


◇ 一日一回 お願いします
   ↓    ↓

人気ブログランキングへ

コメント(0)