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葵(あおい) 徳川三代 総集編 第1回 天下分け目

(2000日)関ケ原400年で徳川が主人公。ジェームス三木 原作脚本。
世紀末の大河ということでベテラン俳優を揃えたのでしょう。

石田三成は「関ケ原」を40で戦うのに、56の江守徹が演じ気合が入っている。

慶長3年(1598)8月18日の秀吉の死から始まる。

早速、家康、秀吉の正室 おね(北政所)に挨拶に行った。


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淀と秀頼の元に多くの家来が集まるが、
増長する淀が疎ましい北政所は、大阪城西の丸を家康に譲る。
家康はそこを拠点とし睨みを効かした。
北政所は出家し高台院となる。



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片桐且元(賤ヶ岳七本槍)と大野治長(当時30歳)
治長が家康暗殺計画の首謀者として疑われ、淀へ報告し対策を練ることとした。

治長の母は淀の乳母だったので、近い関係ではあったが、
年が近いこともあり、秀頼は治長の子との噂もあったようだ。
家康がその不義を突く可能性を片桐が指摘し、治長を庇うのは難しいとした。


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治長を心配する淀だった。
この後、治長は下総へ流罪となる。



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佐和山へ蟄居中の石田三成は対策会議を開いた。
(左から、父の石田正継、島左近、蒲生氏郷)
会津の上杉と中国の毛利に手紙を出し、挙兵させることとした。


そして、慶長5年(1600)6月、家康、上杉攻めを決め、東へ向かった。
紆余曲折を経て、9月15日の関ケ原となる。


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あっけなく、討たれ死ぬこととなった島左近だった。
三成に「一命、捧げ奉る。」
と死んでいった。

墓は京都の立本寺。寛永9年(1632)6月26日没 享年92。
笑うところだった。


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続いて、大谷吉継、自刃。
小早川秀秋を恨み「三年の内に祟りをなしてくれん」と残した。


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信州上田の真田攻めに手こずり、秀忠は「関ヶ原」に遅参した。
9月23日、大津城にて、父に詫びることとなった。
家康は「道中、難儀をしたらしいな」という労いの言葉をかけたが、
秀忠は、不覚にも聞き逃してしまう。

「申し訳ございません。今の言葉、聞き漏らしました」

と、泣いて詫びるしかなかった秀忠だった。



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NHKオンデマンド 葵(あおい) 徳川三代 総集編 第1回 天下分け目


10月1日、京都六条河原にて、小西行長と安国寺恵瓊。
石田三成と共に処刑される。

小西はキリシタン大名で妻子への遺言状で

「今後は汝らはすべての熱意と心の緊張をもってデウスに仕えるよう心掛けて頂きたい。なぜならこの世においては、世の中のすべてのものが変わりやすく、なに一つとして永続するものはみられぬからである」

と残したそうだ。


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