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草燃える 総集編 第2回 平家滅亡

(1979日)

前回、治承4年(1180)8月17日、頼朝が挙兵。
紆余曲折を経て、10月20日「富士川の戦」で勝利。
翌21日、黄瀬川で兄と対面する。


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当時21の義経、奥州藤原氏に世話になり部下を引き連れてきた。

10月25日、鎌倉へ凱旋する。


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北条時政の次女保子と阿野全成(頼朝の異母弟、義経の異母兄)の婚礼。
義経の態度が大きく、ウザがられる。


寿永2年(1183)信濃の木曽義仲と衝突寸前となったが、
3月、嫡子の義高は、政子との長女大姫の婿として人質生活となり和議となる。
その後、義仲は京へ進軍、成功し入京。
が、乱暴狼藉を働く。後白河法皇が頼朝に入京を促し、
源範頼・義経が京へ向かった。義仲は敗れ討ち死。


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息子の義高と大姫は仲良かったが、義高は父の死を悲しむ。
政子は義高を婿に迎えるつもりだったが、
父を殺された息子の恨みを知る頼朝は拒否した。


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寿永3年(1184)8月、頼朝・義経兄弟を分断するため、
策を錬る、九条兼実と後白河法皇
8月6日、義経は左衛門少尉、検非違使に任じられた。
後で知った頼朝は激怒した。


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元暦2年(1185)、壇ノ浦に向かう義経。各地の水軍を吸収。

そして、4月25日



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波の下にも都のさぶらふぞ……


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NHKオンデマンド 草燃える 総集編 第2回 平家滅亡


安徳天皇の母(清盛の娘)建礼門院徳子は入水するが、助けられることとなった。
三種の神器の内、神璽と神鏡は源氏に移るが、宝剣は、海に沈むこととなる。

この入水した女性の中に、北条義時の最初の妻(松坂慶子)もいた。
頼朝の子を宿すこととなり、鎌倉を離れたが、義時(松平健)は追いかけ、
この日、涙の再会を果たした。




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