SSブログ

翔ぶが如く 第1部第1回 薩摩藩お家騒動

(1990日)ペリー来航より7年前の弘化3年(1847)イギリス艦船が通商と布教を要求し威圧してきた。


tobu1.jpg

琉球から薩摩を経て江戸の島津斉彬は知ることとなる。


tobu3.jpg

その頃、西郷邸は大家族だった。
3人の妹、安(やす)、琴(こと)、鷹(たか)、母の政佐(まさ)


tobu4.jpg

祖父の西郷龍右衛門(浜村純) 「淳」は別人。


tobua.jpg

安、きみ(祖母)と信吾(後の従道)
鷹に抱かれている子が、小兵衛。



tobu6.jpg

当時のニューリーダー。
斉彬、松平春嶽(越前藩主)、阿部正弘(老中)、伊達宗城(宇和島藩主)


tobu9.jpg

翌、弘化4年(1847)3月7日に江戸より戻った薩摩藩主 島津斉興と側室お由羅。
又次郎(後の忠義)と久光

藩主と嫡男が藩元にいてはならず、1週間せずに斉彬は江戸へ。
その後、斉興が久光を家老とし、次期藩主に据えようとする。



tobuc.jpg

斉彬は、弘化5年(1848)老中阿部正弘に薩摩の密貿易を密告。
そして、会計責任者の調所笑左衛門を呼び出し、詰問。自害へと追い込んだ。

薩摩では斉彬派がお由羅殺害計画を立てていた。
調所の死もあり、斉彬と由羅は激怒。粛清が始まった。


tobud.jpg

重臣、赤山靭負 切腹。27歳。
父の吉兵衛(左)が側用人をしており西郷は大久保と共に近い先輩だった。
西郷の精神の基底には、赤山の血衣があったようだ。


tobuf.jpg

大久保利世(一蔵の父)も遠島となった。
一蔵は、藩の記録所書役助だったが、謹慎となる。
切腹13遠島16 蟄居など50名に及んだ。



tobug.jpg
NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第1部第1回 薩摩藩お家騒動


西郷は、大久保宅へ野菜を届けた。礼を言う母の福だったが、
沈んでいた一蔵に吉之助は一喝。
ここでの畑仕事が大久保利通の根底となったのでしょう。


その後、「お由羅騒動」を理由に、老中首座の阿部は、
第12代将軍の家慶から斉興を隠居させ斉彬にするよう図る。


知らせを聞いた吉之助と一蔵は喜び合うのだった。





最後まで読んで頂きありがとうございます。
押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。
クリック恐悦至極に御座います。
  ↓ ↓


人気ブログランキング
コメント(0)