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翔ぶが如く 第1部第2回 新藩主お国入り

(1990日)

嘉永4年(1851)春、島津斉彬が薩摩に戻った。藩主としてだった。
高崎崩れ(お由羅騒動)から1年半だった。

斉彬は一同に就任挨拶をする。


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痛み入る、島津久徳(ひさのり)、島津久宝(ひさたか)。
斉彬は名指しで、「この後もよろしく余に忠義をつくせ」と言った。
自害した調所広郷の後任家老となった斉興側近だった。


粛清人事を行わず、挙国一致体制を敷いた上で、斉彬は声を上げる。

「藩士たるもの質素倹約」「国を富ますこと急務」

一同、納得する。


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斉彬側近として活躍する関勇助。
「言路洞開」
下の者の意見を聞くとのことで、早速、吉之助は建白書を出した。


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その頃、大久保は謹慎中の身だったので、西郷宅で食事をすることもあった。
左奥、吉二郎(村田雄浩)
西郷家も厳しかったが、斉彬の開墾奨励策もあり前向きではあった。


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土佐の漁師だったジョン万次郎だったが、
漂流後、助けられアメリカで様々な事柄を吸収。
琉球に戻ったところ捕まり、薩摩へ移送され、斉彬に登用された。


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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第1部第2回 新藩主お国入り


西郷吉之助は妻となる須賀と会っていたが、怪しい連中に絡まれた。
(有馬新七、吉井幸輔、大山格之助、伊地知正治)




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