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翔ぶが如く 第1部第6回 庭方役拝命

(1990日)

安政元年(1854)3月6日、斉彬一行は江戸に着いた。
50日かけるところを40日余りとした。急いでいた。
日米和親条約締結の3日後のことだった。


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(西郷、樺山、有村、大山)

嘉永5年(1852)に樺山三円は斉彬の茶坊主として江戸詰で各人と交流していた。
同年に江戸留学生15名に選ばれた有村俊斎と大山格之助と再会する。



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老中首座阿部正弘が、「薩摩で建造した船3隻を譲ってほしい」
との言に、斉彬は、「お売りする気はござらん。献上たてまつりまする」と返した。
感に入る阿部だった。


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篤姫が挨拶に来た。三田の上屋敷で、側室の喜久(きく)の子の話し相手となっていた。
前藩主の斉興と由羅が住む高輪の下屋敷の”呪い”を気にしていた。



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4月中ごろ、吉之助、お庭方就任。



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NHKオンデマンド 大河ドラマ 翔ぶが如く 第1部第6回 庭方役拝命

嘉永6年(1853)に海防御用掛となった水戸の藤田東湖と会う。
斉彬からの手紙を届けたことにしているが、
4月10日樺山三円が引き合わせたようだ。
藤田東湖は徳川斉昭のブレーンで、翌年の「安政の大地震」で死去。

「先輩としては藤田東湖、同輩としては橋本左内、ともにわしの最も尊敬した人である」
と後年、語る。





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