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翔ぶが如く 第1部第8回 異変のきざし

(1990日)

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安政4年(1857)3月27日、斉彬と吉之助は、御三卿の一橋慶喜宅を訪問した。
御三卿は将軍を輩出できるが10万石ほどの領地は飛び、藩はなく藩主ではなかった。
水戸藩主の徳川斉昭の七男から養子で一橋家当主となる。
第12代将軍家慶が次期将軍に考えてのことだったので、文武に秀でていた。


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その時の様子を、越前藩主の松平春嶽に伝えるよう吉之助は命じられる。
待っている間に春嶽に仕える橋本左内と語る。
慶喜が斉彬を「無礼者」と叱った件を聞いて喜色を表す左内だった。



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(歌橋、家定、本寿院)

慶喜の来訪で「鬼が来た」と逃げようとする家定。
歌橋(うたはし)は乳母で紀州縁者で反一橋だった。
家定が母の本寿院よりも心を許していたことから大奥の実力者だった。
篤姫と幾島はどうすることもできなかった。


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4月3日江戸を出発、参勤交代の帰路、京の清水寺成就院にて斉彬は左大臣近衛忠熙と密談。
月照は翌年に吉之助と心中するが知る由もない。


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5月、3年ぶりに薩摩に帰った吉之助だった。
大歓迎だったが、慣れ親しんだ家ではなかった。
借金返済のため、現鹿児島市の加治屋町から上之園町に移っていた。
祖母は健在、江戸の土産に皆喜んだ。が、そこに妻はいなかった。


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離婚となり、俊の実家に向かった。
母と弟の伊集院兼寛が応対する。俊は親戚宅にいることにしたが、
後ろで泣いていた。
兼寛は後に有馬新七らと寺田屋騒動に加わる。


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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第1部第8回 異変のきざし



11月1日、吉之助は斉彬の命にて再度江戸行きとなった。
大久保一蔵も熊本まで同行することになる。
半年前の参勤交代の帰途4月に熊本藩家老長岡監物や津田山三郎(後の第百五十一銀行頭取)と会っていた。

この時期、伊地知正治と有馬新七は江戸へ留学し、吉井幸輔は大坂詰でもあり、
一蔵は藩外へ出て見聞を拡げたかった。

が、『西郷どん』では一蔵は吉之助との同行を渋り、後から追いかけることとなる。
西郷より2つ下なので、素直に喜んだと思うのですが、
大久保にメンドクサイ一面もあったのやもしれません。





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