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春の波涛(はとう) 総集編 前編

(1985日)日本初の女優川上貞奴が主人公の実話。明治大正期の文化を学ぶつもりだったが、それだけではないようだ。
総集編と一つにまとめているが、前編・後編でいきます。

明治16年(1883)に完成した鹿鳴館で連日、舞踏会だったようだ。


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明治19年(1886)、伊藤博文にお願いして貞(15)は舞踏会で踊ったものの、
心の中は桃介(18)のことを考えていた。(もしくは明治20年)


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桃介は、慶応義塾在学中に房子の結婚を前提で福澤家の養子となることとなった。

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房子のお金を留学費用とするとのことで感謝する桃介。(養子前)


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桃介は恋仲だった貞がいて別れたが、房子は気になり兄と共に貞の顔を見ることにした。
嫌味な会話を交わす。

この日、貞がヤケになり、道で座り込んでいたところ、濱田屋まで運んでくれたのが川上音二郎だった。


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明治20年(1887)12月25日に制定、発布、即日施行の勅令で
26~28日に自由民権派の570人が東京退去となったようだ。
尾崎幸雄、中江兆民らと共に、たまたま濱田屋に顔を出した音二郎も捕まった。
「自由民権の危険人物」とのことだった。

音二郎は、明治15年6月(1882)、18歳で福沢諭吉により慶應義塾の学僕となり桃介とは4つ上で友人関係となっていた。


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明治22年(1889)2月11日大日本帝国憲法が発布される。
その頃から日清戦争時の頃まで、5年以上、『オッペケペー節』が大ヒット。


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明治27年(1894)、結婚に際して、金子堅太郎と伊藤博文。
金子は日露戦争時、アメリカで宣伝や交渉を担当した伊藤の三羽烏。
伊藤に「パリに行け」とのアドバイスで、川上はパリで学び帰国。
パリの経験を活かし演劇を成功させた。


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同年、桃介は吐血し、長期の療養生活に入った。そこから株式投資の経験を重ねた。
見舞いに来た貞は、桃介から株を学んだ。

この二人は33年後の今年『西郷どん』で夫婦を演じている。
1982年の映画『蒲田行進曲』では平田満(大久保の父)との3人は共演していた。


夫の音二郎が自前で劇場を持ちたいとの理由で桃介から株を学んだが、成功となる。
明治29年(1896)6月内助の功もあって「川上座」が完成した。


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が、音二郎に隠し子がいて、しかも貞が日頃可愛がっていた子だった。
貞はキレてカミソリを振り回し暴れる。


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6月14日、開会式に2000人集めたが、初日早々、貞のカツラが取れる事件となる。
上手くいかず、借金の返済が大変だった。
桃介の見舞いに行き相談する前に、家族が来て、その場を去った。


明治31年(1898)、音二郎は総選挙に打って出たが、15円以上の税納付者の制限選挙のため、
支持する層が違い敗北となった。


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音二郎は、海に出て、死ぬか生きて帰れるか試した。
助かったら芝居を続けようと決意、貞も共にした。

結局、助かる。

その後、日系アメリカ人の興行師からの話があり、
明治32年(1899)神戸港から19名でアメリカ巡業の旅に出た。


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春の波涛(はとう) 総集編


渡米したが、貞は騙され、実は貞を主役とした契約だった。

が結果、大成功。観客は沸いた。

しかし、売上を日系アメリカ人の興行師に持ち逃げされ、路頭に迷うこととなる。


基本的に実話の波乱万丈伝なので面白かった。
よく、これだけ調べて小説にしたものだと感心します。





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