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翔ぶが如く 第1部第11回 大獄の嵐

(1990日)

安政5年(1858)7月16日、薩摩藩主島津斉彬が死去となる。
京にいた吉之助に手紙が届いたのが27日だった。
直に左大臣近衛忠煕に伝える。同席していた月照は吉之助の覚悟に気づいた。


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その晩、薩摩藩御用達の旅籠・鍵屋に月照は吉之助を訪ね、殉死を諫めた。
斉彬の意思を継ぐことが忠であり、殉死は不忠、とのことだった。
吉之助は子どものように泣きじゃくった。


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翌日、伊地知正治と吉井幸輔が来訪。井伊が下した処分の取消を求めることにした。
月照からは、幕府協調路線の関白九条尚忠は孤立しているとのことだった。


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水戸・尾張藩への孝明天皇の内勅の写しを西郷に手渡す近衛。

京から江戸まで4日半で駆け付けた。
籠を担ぐ方は何度か交代するが、担がれる吉之助も大変だった。


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薩摩藩三田藩邸にて会談。
越前の橋本左内、水戸藩から金子孫二郎と関鉄之介。
関が桜田門外の変の実行部隊のリーダー。


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西郷の後ろに、有馬新七、有村俊斎が控えていた。
さらに、変に参加した弟の有村雄助、有村次左衛門でしょう。


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水戸藩家老安島帯刀邸
勅諚を見せたが、斉昭は謹慎中で無理とのことで受け取らなかった。

仕方なく、勅諚を有村俊斎に託して月照に返すことにした。
が、吉之助の江戸情勢の報告を待たず、朝廷は正式な勅諚書を水戸と幕府に届けた。



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井伊は水戸の勅諚を他藩へ回さぬよう指示した。
老中間部詮勝には、京に行き、「奴ら」の取り締まりを命じた。


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翔ぶが如く 第1部第11回 大獄の嵐


幕府の手が迫り、月照の護衛を近衛から奈良までと頼まれたが、危険なので薩摩に向かうことにする。
大阪から船で下関に寄り、豪商白石正一郎の世話になる。
月照はカステラに手をつけた。

吉之助は、有村俊斎に警護を任せ先に薩摩に戻るものの、
藩内は斉彬の死で守旧派が盛り返し、吉之助の活動はストップ。
斉彬の墓前で殉死すらできない現実に沈む西郷だった。




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