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その時歴史が動いた 関ヶ原合戦 家康 なぞの大突撃 ~ヨーロッパ製甲(かっ)ちゅうの威力~ [歴史動画]

(2000日)

甲冑という防具で、家康の行動を変えたことに感嘆でした。
しかも、5大老だった当時に密かに江戸へ持ち帰り、
来るべき決戦のために、豊臣方武将への「見返り」にも使う。
いざ本番の「関ケ原」前にも実際に貫通しないころを試した上で着用。
そして、家康の行動をも変え、小早川秀秋の行動をも変えた。
秀秋の心理に家康へ感動を与えたという童門氏の慧眼も面白かった回でした。


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その時歴史が動いた 関ヶ原合戦 家康 なぞの大突撃 ~ヨーロッパ製甲(かっ)ちゅうの威力~

----memo

勝利の秘訣 半年前漂流船
  甲冑 鉄砲の玉を通さない

和歌山県立博物館 
  南蛮どうぐそく
  家康がきた 10か所の跡

 関ケ原 家康が最前線へ


一りょうの甲冑が歴史を変えた


大分へ漂着 オランダ船リーフデ号
   航海中暴風雨
家康へ連絡
  すぐ 堺の港へ連行
  大量の武器弾薬 甲冑 銅と胸当て

  没収 乗組員 大阪城へ ウィリアムアダムス

 それまでは身を守ることができなかった

  鉄板で作られていた しのぎもあった

 秘密で江戸へ運んだ

 南蛮甲冑 和洋折衷 胴と頭が鉄板
   手足は従来の日本の甲冑の構造 機動性のため

 家康は切り札を手にした。

守ることが卑怯という価値観があったが、
家康は採用した

0702 大阪から江戸へ 上杉征伐

717 挙兵 三成9.5万

724 小山で家康知る
     直属3千 豊臣系5.5万

長政に説得の見返りに甲冑をあげた
 福島正則に先陣の説得をせよ

 加藤よしあき 賤ケ岳7 にも甲冑
    見たこと無い 実利にも  

  2人は賤ケ岳7+黒田 


 52日後に関ケ原

 810 三成 岐阜城へ

大垣城

824 大阪城近く赤坂 黒田福島
 
 家康は江戸城

901 家康出陣 のぼりや旗を隠し密かに 赤坂へ

914 到着 葵ののぼりを立てる

  大阪へ攻めるという偽情報を流した

   三成を大垣城から出させて野戦にするため
      甲冑を活かすためでもある

三成、19時でた

915 am2 東軍出発 7.5万

 東海一の弓取り 野戦が得意 
  
 遅れたように見せながら野戦に突入 油断させる
  南蛮甲冑があるので 自信がある

am8 始まる

 井伊直まさ 

 まず鉄砲で 甲冑を与えた3人


 2㎞後方 桃配り山 家康
  イラついていた
    秀秋が動かない
   
 am11  本陣移動 自ら最前線へ
  長政 前線突破
  秀秋 逆位固める
      威嚇射撃
  
  4人の西軍武将 寝返る 脇坂ら

 午後3時 東軍勝利

  家康は試してから甲冑を着た

  トップリーダーとしての姿勢の表れ
   甲冑が細心の家康を最前線に出させた

   秀秋に感動を与えたのだろう


三浦按針に帆船を作らせ 太平洋横断
 メキシコ 金銀採掘の土木精錬技術の輸入
  飛躍的に伸びた 生産幕府独占


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