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徳川慶喜 第13回 幕府の権威

(1998日)

前回、安政5年(1858)4月23日、井伊直弼は大老に就任した。


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就任挨拶
「大事なのは私見にあらず、大事なのは我が国の命運でござる」


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堀田邸で、ハリスに通商条約調印の3か月の再延期を申し出る。
井上清直と岩瀬忠震の2人はこの時期行動を共にし同席していた。
ハリスとヒュースケンは来日して約2年となりウンザリだった。



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米国海軍ミシシッピー号が来航。
ハリスは英仏艦隊が間もなく来ると知らされ、「勝った」と喜んだ。


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(久世広周、堀田正睦)

堀田はハリスが英仏艦隊が来るから早く調印を求めているのに同意したが、
久世は、交渉のための嘘かもしれないとした。
が、堀田は、キリシタンなので嘘はつかないだろうと反論。
久世は、堀田は蘭学に通じていると認めつつも、諸大名の意見を聞いて結論を出すべし、とした。



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(松平忠固、内藤信親、堀田正睦)

内藤は、 諸大名の意見を集め朝廷にお伺いを立てるべしとした。
井伊直弼は、岩瀬と井上の2人に探らせることにする。


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米国海軍ポーハタン号にて
「英仏が来てから条約を結ぶより、米国と結んで友好国となる方がよい」
ハリスは日本を好意的に語った。

ハリスの病気に対し通訳のヘンリーヒュースケンが看護婦を頼んだが、
日本側は意味が分からず芸者を送った。唐人お吉という名だった。
が、後に外国人と関わったということで蔑視され苦労の末自殺することになった。
   

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6月19日の会議にて、
「万に止むを得ない場合は、どうすればよろしいのでしょうか」
岩瀬が聞いたのに対し、「その時は、仕方あるまい」と井伊は言ってしまった。


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即日、ポーハタン号にて調印となる。ハリスは礼砲を響かせた。



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徳川慶喜 第13回 幕府の権威

左、久世広周、脇坂安宅(佐々木功)、堀田正睦
中央、井伊直弼
右、松平忠固、内藤信親


ドラマの直弼は堂々としているが、内心では、2人に対し
「即行、調印しやがって。努力したのかよ」
と激怒だったのでしょう。

実際は、井上が「もし交渉が行き詰まった場合には、調印しても構いませぬか」
と聞いたのに対し、
「その際はやむを得ぬが、しかしそうならぬよう、調印をできるだけ引き延ばすよう努めよ」
と直弼は、引き延ばす方を望んでいた。

彦根藩邸で、宇津木景福に「無念の極み」と語っていたそうだ。

彦根藩井伊家文書の中の木俣家伝来「公用方秘録」だそうです。



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