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いだてん~東京オリムピック噺~ (17)「いつも2人で」

(2019日)

1916年のベルリン五輪は、第1次世界大戦により無期限延期となった。
師範学校卒業後もマラソンの練習に専念するため、
熊本に妻を残し東京でのプーライフに燃焼していたにもかかわらずだった。

一度、様子を見に来た妻を追い払ったことがあった。
しかし、妻は五輪の中止を知るや、すぐに駆けつけてくれた。


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だが、妻は五輪中止で熊本で共に暮らせることになると考え、
終わったことを「喜べ」とばかりに笑顔を強要した。

その後、さすがに金栗は、これを機に教職に就くことにする。
鎌倉だった。妻は共に住むこととなったが、
熊本の義母はカンカンだった。


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金栗の無念は、駅伝を生み出した。
京都~東京をリレーで走るアイデアを嘉納治五郎に話し、
読売新聞社主催となった。


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リレーのたすきは、洗濯物を干す妻が由来だった。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (17)「いつも2人で」


大正6年(1917)、東京遷都50周年ということで
東海道五十三次の宿場を駅として選手交代し東京を目指す大会が行われた。

が、「遷都」なるものは行われておらず、
単に首都機能が東京にあり、「天皇が東京に滞在中」であるに過ぎないそうで、
あくまで京都が本来の都だそうだ。
その観点から言えば、京都人に対して失礼な大会だったのやもしれません。




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