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翔ぶが如く 第1部第23回 竜馬と海舟

(1990日)

前回、元治元年(1864)4月、久光と大久保は薩摩に帰った。
京都は西郷吉之助が任されることとなった。


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(村田新八、金太、西郷吉之助、新門辰五郎)

江戸の町火消『を組』の新門辰五郎と金太が薩摩藩定宿「鍵屋」に挨拶に来た。
辰五郎たちは一橋慶喜の京都暮らしの警護で来ていた。

6月5日に池田屋事件で御所焼き討ち計画を新選組が未然に防いだが、
この事件で長州藩士は激高した。

強硬派の久坂玄瑞、来島又兵衛が御所を襲撃することにした。


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7月19日、「禁門の変」となる。
薩摩からは吉之助が責任者として出陣したが、被弾する。


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その頃、薩摩の大久保一蔵は、新型銃の研究に勤しんでいた。
元込め銃に喜色する。


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(西郷吉之助、吉井幸輔、坂本竜馬)

8月中旬、坂本竜馬が訪ねてきた。勝海舟の紹介だった。
薩長が組むことを示唆し西郷の反応を探った。
この後、勝に西郷の印象を「少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く」と語る。


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9月11日、西郷は大阪へ勝を訪ねた。
勝は雄藩同盟(薩摩・土佐・伊予宇和島・越前)が京に兵を出し、 
横浜と長崎で交易を行い、外交権と軍事権を幕府から奪わなければ日本は滅ぶとした。

西郷は、目が覚める。
これまで、幕府を倒すということは考えてなかったが、
勝との会談は斉彬に次ぐ第二の開眼だったようだ。


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(村田新八、西郷吉之助、吉井幸輔)

長州征伐の征長総督は尾張藩の前々藩主の徳川慶勝だったが
西郷は参謀格となり、交渉で戦を終わらそうと敵地へ乗り込んだ。
実際は、薩摩から税所篤と吉井幸輔、尾張藩から若井鍬吉が同行した。


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翔ぶが如く 第1部第23回 竜馬と海舟


長州征伐での吉之助の働きを竜馬は勝に伝えた。
勝は11月10日に軍艦奉行を罷免され、神戸の海軍操練所も閉鎖となることとなった。
龍馬は西郷の言があったので薩摩藩邸を頼ることを伝えた。

勝は竜馬に財布丸ごと投げ渡した。
     




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