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太平記 第1回  父と子

(1991日)

弘安の役の4年後、弘安8年(1285)、安達泰盛が北条得宗家に潰された。
北条家は、鎌倉幕府の有力御家人を次々潰していった。

物語は、20年後の1305年から本格的に始まる。
北条氏に潰された吉見一族の残党の塩屋家の者たち10数名が、
足利家を頼るも、幕府から差し出せとの要求があった。
同じ源氏の流れを汲むので助けたかったが、時代は北条得宗家にあり、
家の門を空けさせ、塩屋の者たちは突撃した。


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足利貞氏(緒形拳)は少年を引き留めた。


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鎌倉へ挨拶に来た貞氏だったが、幕府政所で内管領の長崎円喜と会う。
将軍も執権も風邪で挨拶できず、長崎が受けると言う。
 内管領は幕府の役職でなく、北条得宗家の執事だった。
少年1人を助けたことを問いただされたが、シラを切った。

この年、貞氏の側室清子は、又二郎(後の尊氏)を産む。



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(新田義貞、足利直義、足利尊氏)

時が経ち、足利兄弟が新田領で遊んでいたところ、新田義貞に捕まった。
共に源氏の流れで北条の専横を苦々しく思っていたが、
この局面では、新田の子分にさせられるところだった。


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そこへ、一人の武者が駆けつけてくれ救出してくれた。
父が助けた少年が青年となり、匿われていた三河から鎌倉へ戻ってきた。
一色右馬介(大地康夫)が、少年尊氏に仕えることになった。


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少年は元服することとなる。
烏帽子親は第14代執権北条高時。この時、一字もらって、高氏となった。
頭を押さえつけて嫌がらせを楽しむ高時だった。


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(第9代将軍守邦親王、北条高時)

高時は、大の闘犬好きで、鎌倉に犬が千頭いたそうだ。
有力御家人を招いて楽しんでいたが、高氏がアクビをしたので、
高氏に土佐犬を引く役目を与えた。



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TSUTAYA 太平記 完全版 


これが凄まじかった。
青年高氏は自ら土佐犬と格闘し始めた。
アクションのJAC出身の真田広之に噛みつきに行くが、
ケガをしても涼しい顔をしてそうだ。

第1回、見事でした。
あまり知らない時代なだけに、危険を顧みない撮影で驚きでした。
北畠顕家が後藤久美子などふざけていてチャラいのかと疑問だったのですが、
真剣でした。

これは面白そうです。
諸事情(朝ドラの割込)により短期での視聴は難しいのですが、
1年間で見たいですね。




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なつぞら (76)~(78)「なつよ、“雪月”が大ピンチ」

(2019日)

なつは、階段から落ちそうになったアクシデントから、
牛若丸の乗馬シーンで、前足を4本描く手法を思いついた。


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製作課の露木がクレームを入れてきたが、
許可した者が多く、また、仲の説明にOKとなった。


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その頃、雪次郎が川村屋を辞めるにあたり北海道から父母と祖母が
かけつけていたが、この2年弱の修行の成果をテストされた。
芝居をやりたいからといって手を抜いていた訳ではなかった。
その証明に対して、雪之助は、いつでも戻ってこいと
雪次郎を認めた上で、父としての愛情を示した。


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昭和33年(1958)春 「わんぱく牛若丸」が完成した。
原画15112枚 動画79089枚とのことだった。




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NHKオンデマンド なつぞら (76)~(78)「なつよ、“雪月”が大ピンチ」


坂場はなつに、アニメーションにしかできない表現、が分かったか聞く。
ムカついたなつが聞くと、坂場は自分の思うことを答えた。

「あり得ないことも本当のように書くこと」
「違う言い方をするならば、あり得ないことにように見せて、本当を書くこと。」

かなり深い話のようだ。




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翔ぶが如く 第1部第24回 新たな契り

(1990日)

元治2年(1865)1月15日、第1次長州征討から薩摩へ帰国した。


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藩主に謁見した吉之助だったが、国父久光より薩摩兵の犠牲0で
事態を収めたことを褒められ、君命として嫁を貰うこととなった。


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大久保夫妻が話をまとめ、岩山イトと結婚する。
イトは大島に吉之助の妻子がいること、いずれ2人の子を引き受けることを承知しているなど、
長いセリフを語り、涙する。
吉之助もイトの真心を受け心より喜んだ。


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2月、一蔵は京に入った。2年前に関白を辞めた近衛忠煕と会う。
大宰府に蟄居させられた三条実美や長州藩主の毛利敬親を江戸へ呼びつけようと幕府は考えていることを知る。
幕府の権威の復活になるので大久保は勅命で反対するよう近衛に進言した。


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3月に吉之助は京に入る。20日、竜馬は京都薩摩藩邸で大久保と知り合う。
貿易するので船が必要で、貸してくれとのことだった。
幕府は徳川家のために日本国を担保としフランスから武器を買っているとのことに
薩摩藩士一同驚く。
   
大久保は竜馬へ薩摩に来て説き伏せろと言った。


この月、慶喜は二条城に諸藩の代表を集めた。薩摩からは小松帯刀が向かった。
長州を再度討つとのことで、事態は動いていた。


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4月末、長州再征討の反対で薩摩へ帰国する。
竜馬も乗船し、西郷家へ泊めてもらった。

久光は、長州再征討で出兵しないことを決めた。


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5月16日、第14代将軍家茂は、第二次長州征伐で3度目の上洛となった。
天璋院と和宮とは最後になった。


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翔ぶが如く 第1部第24回 新たな契り


閏5月、西郷は、薩長連合の協議で下関で桂小五郎と会うつもりだったが、
が、約束を反故にし京に向かった。
村田新八が謝るも桂の怒りは収まらない。
竜馬が軍艦と洋式銃の話をしようとするも、不機嫌だった。





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おしん 55~57回 青春編

(1983日)

山形から上野に着き、日比谷公園を歩きながら圭に昔ばなしをする。

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大正7年(1918)8月3日、富山で米騒動が起こった。
8月13日には、東京の日比谷公園でも群衆となる。
おしんが加賀屋から戻った日だったが、
おしんは、浩太も関わっているのではと考え、上野駅から向かった。

が、前年のロシア革命があり、警察は共産革命に繋がるのではと敏感になり、
単に群衆に紛れていただけのおしんを捕まえた。
警察から連絡を受けた師匠のたかは身元引受人となる。
サラリーマンの初任給が18~25円 米一升が50~70銭まで跳ね上がった時代だった。


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容疑が晴れたとはいえ、冷たい視線だった。
おしんが、人を探していたと説明したことで、師匠は理解してくれた。
そして、18になったおしんに、これからは洋髪で身を立てるよう練習させた。
店は日本髪だが、個人が外で洋髪をすることを勧めた。


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NHKオンデマンド おしん 55~57回 青春編

3か月程たち、洋髪を求めた来客を師匠は受け、おしんにさせる。
客は「耳隠し」を求めたが、激怒して帰った。
おしんが、松井須磨子の髪型は似合わないと自分のセンスを押し付けた結果だった。

ところが後日、ご指名となった。
ショックで日本髪一本にしようとさえ考えたが、
同意なくカフェに出張して洋髪サービスを行う展開となった。




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なつぞら (73)~(75)「なつよ、“雪月”が大ピンチ」

(2019日)

雪次郎が川村屋を辞めるとマダムから聞いたなつは激怒。
なつの住むおでん屋「風車」に雪次郎を連れてきて説得。
しかし、雪次郎の意思は固かった。
翌日、料理長に挨拶するも、お父さんから預かった、との理由で、
実家に連絡することになった。


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雪次郎の父母と祖母の3人が飛んできた。店を休んでのことだった。
見事な土下座だった。


その後、咲太郎が匿った部屋で雪次郎を捕まえた父は、川村屋へ連れていく。
最後の挨拶だと思った雪次郎だったが、
意外な父の申し出に一同、言葉を失い従うしかなかったのでしょう。
雪次郎が性根を入れ替えるまで、無給で働くという展開だった。


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面白すぎで、それで落ち着くのかと思いきや、
調理場を覗いた祖母は、父の横で雪次郎が泣いている姿を見て覚悟した。
雪次郎を自由にさせてやった。但し、もう戻れないことも伝える。



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それでも、父は引き留めようとするが、祖母がビンタを食らわした。

「自分の子どもに惨めな思い、させるんでないわ」



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NHKオンデマンド なつぞら (73)~(75)「なつよ、“雪月”が大ピンチ」

翌日の月曜日、なつは出勤し牛若丸が坂を馬で駆け降りるシーンの書き直しを
元警察官の下山から命じられた。
馬の動きを階段で考えていると、そこへ坂場から意外な申し出があった。
馬になって階段を下りてくれるとのことだった。
奥山玲子への高畑勲の素の親切だったのか、
それとも何か暗示しているのか、分かりません。




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いだてん~東京オリムピック噺~ (24)「種まく人」

(2019日)

大正12年(1923)9月1日11時58分、関東大震災が発生。


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東京市長だった永田秀次郎に、大日本体育協会の会長の嘉納治五郎が
神宮競技場を使ってくれと訪ねた。嘉納は貴族院議員でもあった。


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青年期の古今亭志ん生こと美濃部孝蔵は妻が身重の時に地震となった。
が、幸い家屋は無事だった。
しかし、こういう状況でも酒で家を空けるのに平気だった。


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仕事とか関係なく、しゃべりまくった。


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金栗は4年ぶりに実家に帰るが、義母に怒られ、
スグに東京に戻り、熊本から大量に届けられる米や野菜を
弟子と共に各地へ走り届けた。


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増野シマの夫が赤子を抱き妻を探し続ける。



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反対もあったが、復興運動会が盛大に行われた。
そこへ、シマが岡山でのテニスの試合で知り合った人見絹枝が訪ねてきた。
シマが手紙で陸上競技へ誘っていた。
夫は、妻の働きに感激した。妻の形見のような存在だった。


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バレーやバスケを日本にもたらした大森兵蔵の妻の安仁子は
夫の死後も日本で生活した。セツルメント運動の施設を設立した。

小梅と飲み屋を営んでいたが、地震で凌雲閣が倒壊。
それでも清さんは自治会長として働いていた。



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いだてん~東京オリムピック噺~ (24)「種まく人」


復興運動会の最後は、五輪出場者での競争となった。
そこへ突然、三島弥彦が乱入してきた。
走るつもりなら先に言っとけばいいのに、
どこまでも目立ちたい性格だった。





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おしん 52~54回 青春編

(1983日)

大正5年(1916)、16のおしんは、東京で髪結いの修行に入った。
下働きを率先し、先輩である12のりつを立てた。


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年末年始が書き入れ時だが、師匠は、おしんに"髪すき"をさせた。
通常3.4年の下働き期間を経てのことだったが、
おしんの場合、4か月程だったので、かなり見込んでのことだった。


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が、それに不満を抱いた先輩2人が、やめる、と言い出した。
師匠は、やめたいなら勝手にやめろ、と言い放ったが、
おしんは、自分のために店や人間関係が乱れるのを良しとせず、自分が去ると言い出す。
それで収まったが、師匠は、おしんに呆れ、以後、客の前に出そうとしなくなり、
おしんは2年間下働きをし続けることになる。


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18になり、山形の母から手紙があった。近所のりきの代筆だった。

前の奉公先の加賀屋の小夜が肺炎で亡くなったとのことだった。
加代の妹で、昔、おしんが子守をし実の姉のように慕ってくれた。
加代は行方不明でもあり、おしんは、いたたまれず加賀屋に行くことを師匠にお願いした。

師匠のたかは、許したが、戻ってくるように念押しする。
いくらか持たせてやり、また自分の着物を着せてやった。

大正7年(1918)だったが、洋髪が流行りはじめ、
たかは、戻ってきたおしんに、何かを伝えるつもりだったのでしょう。



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NHKオンデマンド おしん 52~54回 青春編


娘2人がいなくなった加賀屋は、悲しみにあった。
おしんは、戻ってくれるようお願いされるも、
着物が師匠を思い出させ、また、修復していない加代との関係、
加代と浩太のことを伏せたままであることもあり、戻れなかった。





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なつぞら (70)~(72)「なつよ、千遥のためにつくれ」

(2019日)

「白蛇姫」の次は、「わんぱく牛若丸」となった。
アニメ制作にあたり、俳優の演じる姿をアニメーターが描画する手法があり、
「ライブアクション」と言うようだ。

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東洋動画の製作課が準備する。
常磐御前は「白蛇姫」から続いて「赤い星座」の亀山蘭子となる。


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なつが描いた牛若丸の乗馬シーンに、製作課の人間が、
おかしくないですか、と丁寧に質問してきた。
東大で哲学を学んだ坂場一久だった。ムカついたなつだったが、
後に高畑勲と宮崎駿が、なつの夫の解雇を撤回させたようだ。


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NHKオンデマンド なつぞら (70)~(72)「なつよ、千遥のためにつくれ」

雪次郎が、「赤い星座」の入団試験を受けていた。
合格発表前に、川村屋を辞めることにした。
なつは、反対したが、本人にしてみれば、芝居をやりたい以上、
川村屋でお世話になりながら別の世界を目指すことが裏切りだった。




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歴史秘話ヒストリア  信長より20年早かった男 最初の“天下人”三好長慶 [歴史動画]

(2019日)

11ヵ国の三好政権を築いた英雄だった。
が、弟や息子の死で自らも42で他界し、甥の義継が継ぐ。
娘婿の松永久秀と三好三人衆の対立と義輝が絡み、織田信長が乱入してくる。

結果的には、信長へと移行するが、
長慶、義興が健康に恵まれていたら、かなり話が変わったのやもしれません。

信長登場前の畿内の英雄でしたが、面白かったですね。


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NHKオンデマンド 歴史秘話ヒストリア 「信長より20年早かった男 最初の“天下人”三好長慶」

----memo

徳島生まれ
壮絶な人生

11歳 1532 父元長 有力武将 大坂から阿波へ逃れる 
      父との別れ

  父は細川晴元に仕えていた 管領の家
   晴元を細川の当主にしたかった

  主君から疎まれ 10万一向一揆兵を出され 自害

  11で当主となり晴元に忠誠を誓った
    側近がいないので とりあえず生きるため仕方なかった

  3年たって立派に成長した  ご機嫌とりに徹した

 西宮で転機を 18で1539 越水城主になる
    国衆が言うこと聞かない  
    人材登用に励む

   土豪 松永久秀を登用

 ---------

宗教勢力との連携
      
   尼崎 本興寺 法華宗 
  禁制 本興寺の自治を認める 末寺のネットワーク 
      西日本 牢何アジアの貿易の担い手

  絹織物 芭蕉布など 長慶に集まる 鉄砲も
                   1550

 ----

兄弟  を養子で広域支配

   16年 ついに 戦う決意
  
  江戸半ばまでは高く評価されていた
 が、幕末 日本外史 信長を高く評価 

 きっかけ 晴元の事件 国衆の池田家を財産目的で自害へ
   国衆の利益を守るのは自分だとした 

  戦となる 800倒す 大勝利 晴元は義輝と共に脱出 近江へ
               
  畿内8か国の実力者へ

 2年後 1551 3月 30歳 
  室町幕府の重臣から信頼される

 刺客で3回斬りつけられる 義輝から
 妻の父も暗殺される

 久秀を使者とし義輝を京に迎える
 
  当時 足利家は 義輝x義維よしつな

  分裂を収めようとした

  が、義輝は長慶を攻めようとした
  長慶キレた 攻めた 義輝 近江へ
  足利を否定し没収を始める
     戦国最初の天下人


 高槻を拠点に 

  村で 水の対立 公正公平な解決へ
        双方と中立3者に話を聞いたうえで

-----
キリスト教 許可

  11か国支配 天下人と言えた
    五畿内を指していたので

  理世安民 と言った

  当時改元は将軍が決定 公家が考え天皇が発表

 1558 永禄元年 長慶に信頼
   
 天皇が実力者に許可する紋を

  1563 義興死去22 息子
 
 義継を後継へ 甥 弟一存の妻が九条家
 冬康を討った 家臣の分裂の芽を摘んだ 苦渋の決断

 2か月後 長慶死去43 1564 病で

 三好家分裂へ 1573 義継自害へ

 芥川山へ信長が来る 後継者だとアピール

 



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おしん 49~51回 青春編

(1983日)

おしんは、山形を出奔、上野に着いた。
姉のはるから貰った住所を探し、髪結い「長谷川」に着いた。
人手が多く、姉のことも言ったが、けんもほろろに追い払われた。


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が、おしんは、潜り込み、勝手に手伝いはじめた。
雑用を率先し、居座ることに成功する。


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しかし、一番若い12のりつに仕事を奪うことになると泣かれ、
おしんは去ることを申し出た。

主人の長谷川たか は、りつのことは心配ないとし、
「つまらないことを言うな」と、鏡を拭くよう命じた。


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NHKオンデマンド おしん 49~51回 青春編


当時、女性が手に職をつけるということで、髪結いの仕事が憧れで、
小作の娘が集まってきたようだ。

さすがに、7歳から奉公をはじめ、虐めぬかれたおしんだっただけに、
材木問屋での経験、加賀屋で学んだ料理や裁縫、接客など全てが生きることになり、
速やかに認められることになった。




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