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徳川慶喜 第17回 安政の大獄

(1998日)

安政5年(1858)4月に井伊直弼が大老に就任、直弼は勅許が欲しかったが、
条約調印が早々と部下が調印した。

が、怒りは直弼に集中。徳川斉昭や慶喜、徳川慶勝、慶永などが抗議に来ると、
無断登城を理由に隠居や謹慎を命じたことから安政の大獄が始まった。
この初期の処分は第13代将軍徳川家定の命で行われたが、むろん直弼初だった。


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が、家定が死去。10月25日に第14代将軍となった紀州藩の慶福は家茂と改めた。


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(水戸・高橋多一郎、薩摩・有村次左衛門)

次々と捕まっていき、直弼暗殺計画が図られるようになった。
水戸からは20名、薩摩からは10名だせるとのことだった。


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師走となったが、慶喜は、己の無力に、節分を早めることにし、
「鬼 は そ と ♪」

と、直弼を頭に置きながら、一橋邸内で何度も矢を放った。



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(老中・間部詮勝 関白・九条尚忠)

条約勅許が下りた。幕府の関係者への処分が多く、孝明天皇が涙で決断された。
尚忠は親幕府だったが、間部に、捕縛された者たちを釈放するよう求めた。



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徳川慶喜 第17回 安政の大獄


が、井伊直弼は、間部を生ぬるいとした。
井伊直弼にとっては、勅許を得ようが、罪は罪だった。




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