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いだてん~東京オリムピック噺~ (35)「民族の祭典」

(2019日)

昭和11年(1936)、金栗四三は嘉納治五郎に呼び出され、東京暮らしとなった。
東京五輪に向けてだった。


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17年お世話になった住み込んでいた播磨屋に向かった。
すると、陸上に引っ張り関東大震災で行方不明になった増野シマの夫と娘がいた。


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五輪開催直前のIOC総会での投票で、1940年は「東京」と決まった。
満洲事変、国連脱退もあったが、中国代表はスポーツは別でアジア開催にと
東京に投じてくれた。


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東京では226事件、反乱軍将校の死刑(7月12日)を経、戒厳令が解除されたが、
東京五輪決定を心より祝ったのでしょう。



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いだてん~東京オリムピック噺~ (35)「民族の祭典」


マラソンでは、孫基禎が金、南昇竜が銅と播磨屋の勝利だった。



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