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太平記 第7回 悲恋

(1991日)

正中2年1月(1325) 足利高氏は19だった。
その頃、奥州安東氏の乱が長引いていた。


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河内で楠木正成に日野俊基への言付けを頼まれた石は鎌倉に着き、
花夜叉一座の仲間と再会する。
この時、藤夜叉の妊娠を知り不機嫌となる。


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北条得宗家の内管領・長崎円喜が足利宅へ訪れると知らせがあり
弟の直義は激怒していた。
高氏が捕まったのも彼らの企みだったからだった。


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長崎は、高氏と北条守時(赤橋)の妹の登子との婚姻の確認を求めてきた。
第14代執権北条高時の指示でもあった。
父の足利貞氏が「身に余る光栄」だとし、長崎は喜んだが、
それは、奥州へ6000の兵を出してくれとの要請に繋がった。

元々は長崎の息子の高資が安東家の兄弟争いで両方から賄賂を貰って
放置したことから生じた戦争で、その始末を他家に押し付ける身勝手だった。


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藤夜叉は佐々木道誉が預かっていたが、石が忍び込み、
高氏と赤橋の縁談を伝え、子どもは一座で育て父が必要なら自分がなると
諦めさせた。そして、藤夜叉は自分から石に連れ出すよう頼んだ。

屋敷の者に見つかったが、石は命がけで藤夜叉を屋敷の外へ逃がした。


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が、そこに高氏がいて、2人は逃げた。
藤夜叉は高氏と京の都へ行きたいと言うが無理な話で、また明日会おうとなった。
石が追いついたので、石に預けた。



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その晩、帰宅すると、新田義貞とすれ違った。
奥州へ兵を出すので挨拶に来たとのことだった。



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(足利貞氏)

父に確認すると、新田は何も言わず腹をさぐりにきただけとのことだった。
安東を討伐する目的の大軍を北条討伐へ切り替える話となる。
高氏は赤橋との縁談があったので反対したが、
それはそれで幕府を改革していければいいと説得された。



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TSUTAYA 太平記 完全版 

(金沢貞顕、赤橋守時、長崎円喜)


が、連署の北条貞顕(金沢)が、新田や貞氏の腹を見破り、
裏目に出ることを恐れた長崎円喜は、取りやめとした。





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