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麒麟がくる (25)「羽運ぶ蟻(あり)」

(2020日)


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永禄9年(1566)2月、覚慶は還俗し足利義秋とした。
昨年11月に近江観音寺城の六角義賢に建ててもらった矢島御所に住んでいた。


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が、三好長逸に攻められたり、六角が三好についたと聞き、
8月若狭の妹婿武田義統を頼る。翌年4月に死去し朝倉義景に平定されるので、
病だったので足利義昭としても頼るなら朝倉義景だったのやもしれません。
敦賀で朝倉の歓迎を待つこととした。


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尾張の織田信長が斎藤龍興を稲葉山城から追い払い、美濃を平定。
光秀は母を故郷へ連れて行った。11年ぶりだった。
明智5宿老の一人藤田伝吾が、家を修繕してくれていた。


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稲葉山城には、稲葉一鉄が信長に仕えていた。
相変わらず嫌味たらしい存在だった。


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信長に挨拶すると、「仕えぬか」と誘われる。
この頃の信長は尾張美濃を中心の思考だったが、
光秀が信長に上洛と日本全体の布武の視野を与えたようだ。

どうも信長の美濃平定は永禄10年で、この作品では9年にしたようである。



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駒の万能薬の注文は順調で製造が追いつかなかった。
京都にある妙勝寺か妙性寺か妙照寺か知らないが、又売りが発生していると聞き、駒が激怒。


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そこに堺の豪商で茶人の今井宗久がいた。挨拶する。
駒の運は止まるところを知らなかった。



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又売りしている少年を見つけた駒だった。
この状況から少年を呼び出し、怒りを顕した。
確かに、母が病だと偽ってタダで手に入れた薬を売るのは商売として正しくはなかった。が、薬が商品としてお金が上手く流れて、双方とも助かっており、
生きていく手段としては正しかった。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (25)「羽運ぶ蟻(あり)」


永禄11年(1568)2月、義昭の従弟にあたる阿波育ちの足利義栄が第14代将軍となった。
三好3人衆に推され朝廷と折衝を続け摂津で宣下となった。
京都入りできなかった唯一の足利将軍だった。





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