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歴史秘話ヒストリア 「その一弾が戦国を変える 国友鉄砲」 [歴史動画]

(2020日)

種子島時堯が秘蔵にするのではなく国産化を決意し、
2つの内の貴重な1挺の分解を許した。ねじがネックだったようだ。
八板金兵衛が再来日したポルトガル人から教わり、1545年に成功する。

ネジの技術は鉄砲でのみ利用され一般工芸品には拡がらず幕末まで待つ。
よって江戸期はネジ無し文化で、日本ではドア文化とならなかった。

一方、種子島時堯、島津歳久、将軍足利義晴経由で、
国友善兵衛が複製を行い、鉄砲鍛冶集団が形成されたそうだ。
その技術が江戸時代となり、国友一貫斎の代となり、1833年反射望遠鏡が完成。

日本人の涙ぐましい研鑽に感慨深くなりますね。

----追加
国友に最初に命じたのは浅井氏のようだ。


his2010081.jpg
歴史秘話ヒストリア 「その一弾が戦国を変える 国友鉄砲」

----メモ

鉄炮記 1543


本能寺 末寺が種子島 本山に手紙 堺の刀鍛冶を勉強にいかせた

細川晴元本能寺で入手 伝来から6年

元就 鉄砲 油断するな
大名の軍拡競争へ

30万丁以上の鉄砲 鉄砲大国
硝石の輸入で 

脇差鉄砲も 護身用
20連せいはつ銃

城の姿も変えた  隠し狭間

大坂の陣の10年前 家康 大筒注文 
 が、国友職人各地へ 
 職人を村に戻し技術を隠せ   徳川独占へ

 大筒 22㎏ 200

陣 鍛冶数人残り調整  輸入の大砲も

元和偃武えんぶ




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